2015-08-31

ヒューマンシティ:ニューヨーク

Leoです。

シリコンバレーボストンに引き続き、今回はニューヨークです。

タイムズスクエア


 "貧乏自慢"が何より嫌いな僕ですが、僕が中高生だった頃、たまに、家にお金がなくて自由(というか自分勝手ですが)が制限されると感じたことがありました。両親は僕のやりたいことを積極的にさせてくれてはいたものの、なんとなく、雰囲気を感じ取って遠慮せざるを得ない、そんな微妙な感覚です。

(今では、やりたい放題やらせていただいてしまっています。。父母、祖母、親族へ。多謝、言葉になりません。)

 それに疑問を感じ、自分の息子にはそんな思いさせねぇ、選択肢は無限大だ!なんてわけわからんモチベーションから、大金持ちになることを夢見て、いつかウォール街で身を削って働いてやる!なんて思ったことから、ニューヨークは僕の中で、唯一無二の憧れの都市でした。

お金のにおいがしたウォール街


 ボストンでの素敵な日々を終え、飛行機に乗ってニューヨークへ。ついに、長年の夢だった地に足を踏み入れるのだ…と、感慨深くなりつつ、一番大きなJFKではなく、Newark Airportに上陸しました。ん?ここがNYなの?と、実感のわかないまま、バンに乗って中心街へ向かいます。



マンハッタンの中心地、タイムズスクエアから徒歩5分のホテル前に到着しました。


最初の感想は、



「なにこれ…汚い…くさい…これが世界の中心地?(妄想が音を立てて崩れ落ちる



 渋谷みたいに人ごみがスゴいんだろうなぁと思っていましたが、人よりも、道路の舗装、道端のゴミ、ホームレス、屋台、建物の汚い壁、そこらじゅうのすべてに絶望しました。もっとスマートかと思っていた頭の中のユートピアは、「大きめのハノイ」に置き換わりました。

 それからすぐに、噂のタイムズスクエアに行ってみても、特に感動を得ず。へぇ、こんなもんかい。と絶望しきって、写真の一枚も撮りませんでした(一枚目の写真は、帰り際、二回目に行ったときです)。


 ニューヨークでは、IBMのワトソン研究所で丸一日の見学+質問会や、ニューヨーク大学出身の方との交流会を行いました。それは非常に価値のある時間で、特にアメリカでの就職の話をいままで聞いたことないくらい広く深く聞けて、貴重な経験をしました。

 が、ぽっかりとあいた穴を何で埋めたらいいものか、しばらくわかりませんでした。


ごはんは基本、ハンバーガー
奮発してステーキハウスにも行きました


 学術的な見学だけでなく、普通に観光をする余裕もあったので、有名な個所を巡ってみることにしました。まず、グラウンドゼロへ。そして近くのウォール街を見に行き、そのまま突っ切ってブルックリン橋。最後に、国連の大きな建物でパスポートにスタンプをもらったら、セントパトリック大聖堂を見て帰るような夢のコースを立てました。



グラウンドゼロ
名前に白いバラが差してあるものがいくつかありました



 グラウンドゼロ。

 言わずと知れた、アルカイダによる9.11事件の標的となった貿易センタービルの、もとあった地盤に作られた、追悼碑です。写真を見ると分かる通り、たいそうな大きさでした。呼び名に賛否両論があるようですが、今回はこの名前を使わせてもらいます。

 内側の大きな穴に向かって水が流れていく構造になっており、金属製の名前の彫られた慰霊碑は、触るとゾッとするほどひんやりしていました。中には、日本人らしき名前や、明らかにアメリカ人ではない名前も。周りを見渡しても、新たにビルがいくつか建ったとはいえ、こんな場所で、あんなことが起きたなんて、想像もできませんでした。


 想い冷めやらぬまま、ウォール街。世界一の金融地区では、かつて思い描いていた夢に思いを馳せました。


ストリートミュージシャン
お邪魔したJazz Club
文字通り、入り口がとても小さい


 マンハッタンに限った話をすれば、別の日にジャズバーにも行きました。念願のBlue Note Jazz Clubは叶いませんでしたが、あのNorah Jonesが昔歌っていたというSmalls Jazz Clubで、本場のJazzを体感しました。本場だけあって、値段(入場$20)に見合わずレベルが笑っちゃうほど高い。

 そして、それだけでなく、地下鉄のホームや地下鉄内でも、急にパフォーマンスが始まります。それも、日本のそれとは代えがたいくらいのクオリティ。気を抜いてると、全身に鳥肌が立ちました。エンターテインメントの街とは、よく言ったものです。


 ニューヨークという街に1ミリも踏み込まないと、ただの汚いうるさい街です。だけど、ほんの1ミリだけ踏み込むと、ほんのりとした温かさや、人の生きる鼓動、発展の行く末の、とんでもない深さが垣間見えてきました。


(郊外のブルックリンにも滞在しました。そこでの体験は、こちらから


 そんなこんなで、私の二度目のアメリカ渡航は幕を閉じます。ニューヨーク、確かに物価は恐ろしく高いです。経済発展のなれの果ては、正直、Artificial Cityのように感じました。たしかに、これでキレイに整備されていたら、それこそますます造られた都市になってしまうなぁと。

 思い描いていたユートピアではなかったし、古くて汚くて臭かったから住みたくはないけれど(悪口)、早く日本に帰って、今回ニューヨークを見たような目線で、いろんな街を歩き回ってみたくなりました。


 アメリカ編、おしまい。


 Leo

2015-08-30

アンティークシティ:ボストン


神々しい教会@Copley, Boston

Leoです。

 やりたいことやっているから、仕方ないっちゃ仕方ないのですが、実は今年、夏休みがありませんでした。試験期間が終わって翌日にオープンキャンパスでしゃべったかと思えば、その翌日に出国。アメリカで8月のほとんどを消費すると、9月1日からスウェーデンで授業開始。アメリカの研修も、まぁ、バカンスのようなものだろうと、言われてしまえば、何も言えないですけども。

 ですが、その中でもボストンでの数日間は、西海岸の予定の詰まりっぷりに比べれば、楽しいものでした。少し時差に体調をやられたり、公園の親子にフリスビーをぶつけられそうになったり、いろいろありましたが、比較的リラックスして過ごしていました。


白黒にすると、なんとなくやさしく映るボストンの街並み


 ボストンは、街並みが素敵です。

 程よい高さのアンティーク調な建物(それも、魅せるアンティークではなく、本当に昔のまま傷ついた建物)がいくつも並んでいたり、幻想的な教会があったり、かと思えば今風なスムージー屋さんが、とてもおいしかったり。今昔がそれとなく調和した、素敵な街でした。ただ、アップダウンが激しいので、数十キロの大荷物を背負って上下左右に地下鉄を乗り換えるのは、やめたほうがいいと思います。周りの人にも迷惑です(自戒

 意外に複雑なボストンの電車網


 あと、これはボストンだけではないですが、地下鉄が充実していて、とても便利でした。僕が滞在したのは、グリーンラインのとある駅(中心街からそう離れていないところ)でしたが、メトロ7日間乗り放題で$19.00とお得ですし、治安もさほど悪くなかったです。

ずっと探していた本を、MITのCoopで発見。


 この滞在では、ベンチャーのインキュベーターのツアーを回ったり、かの有名なマサチューセッツ工科大学(a.k.a. MIT)にお邪魔してMedia labを見れたり、医療系ベンチャーの日本人社長さんのお話を聞いたり、しました。初の東海岸ということで、やはり西の英語は訛りがあったのだなぁと、少し感じます。みなさん、きれいな発音(あたりまえ)。

「山頭火」でラーメン食べた。おいしい。


ほかに学んだことは、別記事で書いています。ぜひ、お時間がある際に、読んでみてください!


では、次回のニューヨークで、アメリカ編は終了(予定)です。

短いですがこの辺で。さようなら!


Leo

2015-08-28

生き方と、今と、光② @ボストン



Leoです。

前回記事の続きです。


 Tくんと深夜に語らい。問題解決の本質について。自分のワクワクの根源について。これからの生き方について光が見え始めたとき、自分が悪者のように感じてしまいました。


 「僕は偽善者だったのか。」


 純粋に貢献したいと思っていないのに、国際開発にかかわってあたかも善人のような顔をしていて、時に感謝されて、いい気になって、いいのか。不謹慎な話ではないか。

 急に、狭苦しい話になってしまいました。が、もし本当にその分野にかかわっていくのなら、必ず一度は通る、苦しい問いなのかもしれません。

ボランティアの在り方もよくわかりません(´・ω・`)



 「まぁ、それでいいんじゃない?」


 T君の答えは、非常にシンプルなものでした。やらない善より、やる偽善。初めは全否定するように引っかかっていましたが、すこしずつジワジワと、飲み込めてきています。

 国際貢献とは、「国際」という形無き何かへ貢献し、発展に寄与することではなく、単に、人が、人に、愛を与え、共通の納得を探すようなことなのでしょう。それがたまたま、国境を越えていただけなのでしょう。


 加えて、僕はたった一人の人間でしかないという事実も、忘れてはいけません。

 世の中に大量にある(僕が判断しうる限りの)問題から、どれを選ぶのか?そもそも、僕が問題だと考えているものの範囲だけでよいのだろうか?

 このような問いも、どれもこれもやるんだ!という無謀な取り組みよりも、自分が納得できる選び方で、納得できる理由とともに、生き方を選択しようと気づかされました。どうにかうまくやれば、例えばそのようなマインドを持つ人を育成するようなことをすれば、ひとりの人間でもそれ以上の影響力が生まれるかもしれません。だけど、それは少し、やりたいこととはずれていて、ワクワクしなかったりします。


 …というか、「助ける」が一番前に来なくても、いいのでは?

 先ほど挙げた自分のワクワクを、国際開発という分野で奔放に発揮できたら、いいなと思いました。確かに、偽善者であることには、変わりありません。しかし、ほかの偽善者と違うのは、自分はそれを理解したうえで、自分のやりたいように、自分のために、やるということ。自分の満足=人をうまく助けられた の等式が成り立っているからこそ、存分にやり切れたらそれでいいのかな、と考えます。

 そしてこれは、国際開発の人だけではなくて、人の生活の質を上げる、新しい体験を創る、と志しているエンジニアたちにも適用されると思います。その先にあるものが「ピュアな承認欲求」では無い限り、自己満足でいいじゃないですか。だって、それなら、生活の質を上げられず、既視感を得る体験しか生み出さないのなら、自己満足さえ叶わないはずですよね。



 人が、人を助ける。

 だったら、人のために、人のことを考えて、幸せになってほしい人がAs well as possibleで幸せになれるように、取り組みをデザインしていく必要があります(あとは、そのデザインのコンセプトとなる、自分特有の「アソビの色」のような部分がほしいな、とは思っています)。これは、デザイン思考のフィールドの、Human Centered Designという概念に近いのだそうです。僕は、これを受けて(だけじゃなく、ほかにも様々な要因からですが)、デザイン思考を学ぶことに決めました。

デザイン思考は未だ勉強中。
写真は、Stanford Univ. d.schoolでの一枚。


 また、僕がいま勉強している適正技術という話についても、議論が起こりました。

 ゲーム理論という観点から社会問題を鑑みると、全体幸福は達成できません。まあ、いくつかの部分幸福の組み合わせと、かかわる人の納得によって「幸福と感じるライン」を下げることで、「全体が幸福と思う」状態を創り出すことはできるかもしれません。

 この適正技術というのは、テクノロジーを使った国際開発の中でも、安価で、使いやすく、直しやすく、電力をなるべくつかわず、現地の古き良き文化を壊さない、というような考えだと認識しています。定義は定まっていないので、ある分野の学術用語としての定義なのか、「こういうの目指して、やってこーぜ!」というコンセプトなのか、は、わかりません。

 ただ、田中直さんの講演や本や資料で読んだ適正技術たる条件をみていると、確かにうなずけるのですが、「非の打ち所がないというか、もはや魔法のステッキだよね。人間に魔法は使えないよ。」と、Tくん。

Perpetual Motion Machine : 永久機関
永遠にぐるぐる回ったら、ガソリンいらなくね。的な
夢のマシンです。今のところ、存在しません。


 「永久機関」とは、放っておいても無限にエネルギーを生み出し続ける機関で、これを発明できたら大金持ちになれると、昔の人はこぞって発明に精を出していたようです。現在では、エネルギーを使用して出てきた余剰分をも利用しよう(出てきた熱でお湯を沸かすエネファームのような)というアイデアに昇華したのでしょうか。

 「適正技術」は、力学的エネルギー保存則のように、物理法則があるからよっぽど達成され得ない!というような縛りはないため、一見達成されそうに思えます。しかし、これも永久機関と同じく、「達成は無理だけど、それに向かって日進月歩していくことで、より多くの人が幸せで豊かになる技術コンセプト」なのではないでしょうか。このように適正技術を定義するか、そのようなコンセプトや方向性が日本中、さらには世界中に広まったら素敵だなぁと、思います。


 じゃあ、留学中に僕には何ができるのでしょうか。

 奨学金を頂いている(まだ振り込みはされてないけど)トビタテ留学JAPAN!日本代表プログラム(http://www.tobitate.mext.go.jp/)の事前学習でも感じましたが、「視野を広げること」なのでしょう(なんて陳腐な言葉。。

 いろんな世界、知っていたけど考えていなかった世界、画面を介しては伝わらない世界、インターネットでは知りえない世界。出会った多くの世界に対して、感じて、考えて、自分の血となり肉となるように、過ごしていきます。

 そして、日本に帰ったら、それを深めます。深めて深めて、研究と絡めて目標に落とし込んで、学生生活の再スタートを切りたいです。



それでは。

Leo

2015-08-24

平成27年度 リーダーシップ賞

Leoです。


東工大には、リーダーシップ賞という名誉ある賞があり、毎年5名がこれに選出され、学長から直々に賞状をもらい、豪華な副賞を手にすることができます。
(平成26年度概要:http://www.eduplan.titech.ac.jp/w/register-honors/leadership/)


ちなみに、受賞までの流れとしては、
自薦or他薦
 ↓ 
学科長推薦
 ↓ 
最終面接(副学長)
 ↓ 
選出
という感じです。


実は私も、26年度・27年度と、私が長きにわたり代表を務めた学生団体の顧問の先生から、ありがたいことにご推薦いただいてきました。しかし、26年度のものは、学科長に嫌われていたのか、無言で推薦を取り消されてしまいました。


現在、27年度に再度推薦され、今年新たに学科長になった先生より学科長推薦をいただき、最終プレゼン面接(ただし海外にいるため、Skype面接という前例なき対応)が目の前に迫っています。






このたび、それを、辞退することにしました。






海外に出てたくさんの刺激を受けることで、自分の小ささに気づき、悩み考え、もらえた(かもしれない)ものをも手放すに至りました。


この選択が正しかったのかどうか、わかりません。海外カブレ、意識高い系、などと言われればそれまでですし、日本にいればこの選択に至ったかは謎です。正直、推薦を蹴って失うものも、まったく小さなものではないでしょう。


しかし、間違っていなかったと思えるほど、努力をしなければならないことだけは事実です。

…という意思表明をこめて、担当の方にメールを出しました。この記事は、その転載です。


応援してくださった方々、この場を借りてお詫び申し上げます。
もっともっと、頑張ります。


Leo




-以下、転載-


○○○○
ご担当者様、
(CC: △△先生、××学科長)

お世話になっております。[Leo Hiramoto]です。
このたび、リーダーシップ賞への面接の辞退を申し出たく、
ご連絡させていただきました。
初めに、事務関係者の方々にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。
私が日本にいた間にミーティングを組んでくださったり、特別対応で
Skype面接を組んでくださったり、そのほかにもたくさんの面で
お手数をおかけいたしました。
また、△△先生、××先生から期待を込めていただいた推薦を
このような形で収束させてしまい、大変後ろ髪をひかれる思いです。

それにもかかわらず、辞退を申し出ることには、理由が2つあります。

1つに、尊敬したいグローバルリーダーたちとの出会いに対し、
最大限の何かを得ることに全力をささげたいと感じたことです。
私は8月初旬より約3週間、アメリカに滞在しています。
参加した短期プログラムの中で、たくさんのグローバルリーダーに出会い、
刺激を受け、繋がりを得ました。しかし、彼らとの出会いを存分に活用し、
自分の血肉に昇華させるには、その刺激を反芻し、自分の人生とすり合わせ、
その人の体験から何が得られるかをどれだけ考えられるかが大切だと思います。
そのため、ホテルでは寝る間をも惜しんで、想いをノートに書き綴ったり
友人と朝まで議論したりする中で、御賞よりもそちらのほうを優先したいと
考えてしまい、辞退を申し出るに至ったわけです。

2つに、自分の理想のリーダー像が次々と変わってしまっていっていることです。
締切間近、​当初用意していた資料を最終調整し、​あとは後輩に印刷と提出を
任せようと考えていました。しかし、このアメリカでのたった3週間、
それも特に初めの1週間@シリコンバレーで、その資料に書いてあることが
ひどくくだらなく、陳腐で、価値のないものだと考えるようになりました。
私はこれまで、どんな興味のあることにも、首を突っ込んではリーダーや
キャプテンを務め、組織を作り、士気を高め、目的の達成に誰よりも貢献しようと
邁進してきました。しかし、その「興味のあること」の根源が理解できておらず、
なんとなく物足りなさを感じ、しかし特に行動に起こすわけでもなく、
目の前のプログラム運営やイベント企画などの成功を、自分の物差しで測り、
小さな成功に満足していました。これに対して、この渡航で出会った方々は皆、
自分の人生や興味の源、夢をある程度達観し、さまざまなイノベーションを
起こしてきた人ばかりでした。そのようなことを考えているうちに、
「リーダー」という眼鏡をかけて見た私の夢の形が、見えなくなってしまいました。

自分はまだ、「リーダーシップ」などと名前の付いた賞を受賞するにふさわしい
人間ではなかったようです。
推薦していただいた△△先生、××学科長には大変申し訳なく
このようなことを突然言い出すのも甚だ心苦しいですが、自分の信念には
抗えなかったです。どうかお許しください。
チャンスがあれば、来年度、自分の等身大のプレゼンテーションを用意して、
威風堂々として今度は自己推薦をしたく考えます。

​ご迷惑をおかけしました。​
何卒、よろしくお願い申し上げます。

2015-08-23

生き方と、今と、光① @ボストン


Leoです。

 お酒を飲みながら、親しい人と非日常の会話を楽しむ。普段じゃ絶対にしないような、濃くて、深くて、生々しい話。目をまっすぐに見て、自分と相手に正直になって。

 20歳になった時に父を誘い、地元の居酒屋で4時間くらい、いわゆる「サシ飲み」をしたことを、鮮明に覚えています。その非日常の会話は、言葉に出していなかった自分の考えと、言葉に出されなかった相手の考えを交換し、今までよりもずっと、なんとなく近しい関係にしてくれる、素晴らしい時間だと確信しています。

ボストンの街並み
古き良きの連続で、温かい街でした

 ボストンのとある夜。

 お酒は飲んでいませんでしたが、自分のベッドルームで、たわいもない話や、留学中のちょこっと真面目な話を、数人集まってつれづれに語らっていました。

 深夜0時を回ったころ。ほかのみんなは寝たり自室に帰ったりで、僕とTくんだけが静かで暗い部屋に残され、語らい(というか振り返れば僕のためのカウンセリングなのですが)はじめました。

 実は、その日の日中に、とあるベンチャーの創設者に、その人の提唱する生き方や起業そのものに関する講義を受けていました。そこで、「大きな白いキャンバスに、自分の思い描く理想の未来を描いてみなさい。そして、それを創るには、今どうしたらいいのか、光の方向を見定めなさい。」というようなことを言われました(原文ままではないです)。ここでいう白いキャンバスとは、比喩ではなく、物理的に白い紙にでもいいから、一枚の絵として理想の未来を描いてみ。という文脈でした。

 「そんな話があったけれど、君の絵は、いったいどんなものになるのか。」Tくんは尋ねました。「わかりにくくても、絵にならなくても、いいから、自分の言葉で説明してくれ。」

What is the future
that I am exactly longing for
deeply inside?


 僕は結局、何も書きませんでした。

 国際開発、環境共生という、興味のあるキーワードや、「新しい可能性の発見・育成」「背中で語る大きな男」という自分の軸は認識してはいたものの、なぜそれをめざしたいのか、それによって世界がどう変わっていくことを望んでいるのか、絵という至極具体的なイメージに落とし込むには、粒度が荒かったからです。そのかわり、自分について、わかっていること、経験してきたこと、考えたこと、考えられてないこと、迷い悩んでいること、すべてについて、話しました。

 すると、彼は、僕の意見を吸い取るように質問を重ね、カウンセラーのごとく、僕のワクワクの真の根源や、真に僕が創りたい未来を、彼の意見も差し込みつつ、見つけ出そうとしてくれました。

 これをこの記事に細かに書き出すと、それをドヤ顔で広めるエセ思想家のようで、すこぶる嫌なので、あえておおまかに書くことにします。

”力強さは、使命感を持つことから生まれる。”
松下幸之助

 とりあえず、国際開発という分野に、どうしてかかわっていきたいのか。

 もともとのワクワクは、途上国等、恵まれない地域の住人や子供たちに、可能性を与えること。というか、その可能性を発見して、育てていくことが楽しかったと認識していました。つまり、いくつもある社会問題に取り組んだり、解決を実感することで、可能性の広がりを感じ、それがワクワクにつながるのかな、と思っていました。

 「では、問題解決とは、何なのか?」彼は問いをつづけました。「全員を救うことができない場合、それは解決策があるといえるのだろうか?」

 世の中のすべての問題に対し、全員を救う最適解が用意されているほど、世の中はうまくできてはいなさそうということに気づきました。僕はじっくりと考え、「社会問題を解決した」というのは、助ける人と助けられる人が相互に納得する妥協点を作れた、と同義ではないか、という仮説にたどり着きます。すなわち、もしかしたら、少なくともどれかのステークホルダーにとってマイナスになるようにしか解決策を設定できない、もしくはそれをマイナスと思わせないと思い込ませるしかないように、世界はできているのかもしれない。そんな現実が見えてきたのです。どこを解決の基準にするのか。「社会貢献」とは、ただ、その「取り組みと、価値観の変化」の問題でしかないということです。

 「いままで、どんな瞬間にワクワクしてきたのか。」さらに自分の軸に迫る質問に答えさせようとします。

 目標を達成できたとき?…ちがう。僕はいつでも、自分の決めた目標を達成しようと努力して、達成が目の前にやっとあらわれた時には、喜ぶ暇なく次の目標に向かって走り出してきたことを知っている。
 だれかの役に立って、感謝されたとき?…これもちがう。役に立つのは好きだけれど、感謝されると、なんだかむずがゆくて、照れくさい。うれしくなくはないが、これはワクワクとは似て非なる。
 自分の考えが広まったり、誰かに影響を与えること?…これは少しある。同志や活動の対象、個人や組織や社会、どのような形であれ、人という相手に影響を与えるのは好きだ。それに、今まで影響を受けてきた先輩方や同期、後輩たちに、恩返しをする意味でも、人に影響を与え続けられる男でいたい。背中で語る大きな男とは、そういう文脈だ。


 そのような問答を繰り返し、胸のうちの金ピカに、アプローチできました。

 自分のやりたいことに集中的にのめりこみ、あっという間に過ぎゆく没入感。
 探検を通じて自分の視野が広がる爽快感。
 今の自分には少しだけ無理なことを達成したいと、試行錯誤して前に進む実感。
 そしてそれらを突き破って達成していく感覚。
 だけど、感謝されるのは苦手。


ようやく、手を伸ばすべき光の方向が、あらわになってきました。

しかし、国際開発という目線に戻って考え直してみると、ふと自分が悪い人に見えてきました。

…というところから、次記事で整理します。長くなってしまった。


お楽しみに。

Leo

2015-08-19

ドラッグシティ:シリコンバレー



Leoです。

初めに忠告だけ。
本記事は、薬物そのものにかかわるものではありません。


8月9日から16日にかけて、シリコンバレーの企業をいくつか回っていました。
 回ったのは、ベンチャー上がりの大企業や日系企業、大学、ベンチャー企業、それを支えるインキュベーション施設などで、はやりの「スタートアップ」がいかにして生まれ育ってきたか、学ぶためのものでした。特に某通信キャリアのイノベーション支部では、自分たちで考えたビジネスモデルをあらかじめプレゼンに落とし込んで、重役3人の前で発表する&フィードバックいただく、というチャンスつき。

インテル、入ってる


 簡素な言葉ですが、とてもいい経験になりました。自分の興味のある国際開発という分野は、イノベーションやスタートアップという一見離れた概念に親和性が高かったことに気づけ、同時に、シリコンバレーの住民のマインドセットや感覚、自信、環境を垣間見れた気がします。

 そして、すごく陳腐な話ですが、こちらで働いている日本人がとても輝いていて、そして就労環境が素晴らしくて、表面的・直感的に「あ、ここで働けたら、楽しそうだな」と感じざるを得ませんでした。日本の典型的なビジネスマンとは異なり、自由で、楽しげで、常に新しい価値を創り出すことに意識が向いているようでした。アツい人ばかりです。




 ですが、逆に、「ここでは働きたくないな」と思いました。

 想像していなかっただけなのかもしれませんが、自分のやりたいことはここでイノベーションを生み出してドカンと当て、お金を稼ぐことではなさそうだったからです。どちらかというと、だれかの役に立っている実感や、お金を稼ぐことが念頭にない生き方に惹かれていたからです。

 規模の大きさは確かに、魅力ではありました。が、それはただ、新鮮だったから。かっこよかったから。

 一通りまわって総評をまとめると、結果、「俺は、ここじゃねぇ」でした。

ベンチャーインキュベーション施設

 自分の軸を保つことに意識を向けないと、圧倒されて、飲み込まれてしまいそうでした。刺激を受けましたが、想像を絶するほど巨大で、何度か、それに惹かれて、やりたいことを忘れそうになりました。シリコンバレーは、それだけ大きなビジネスが動いていたり、イノベーションが世界を変えていたり。

 夢のような、しかし悪魔や薬物のような、街でした。


 そして、それを通して収穫が一つありました。僕はいつのまにか、自分の軸をポイポイ変えるような人間ではなく、それを保とうと努力する型の人間になっていたということに、気づけたことです。

 それがいいことなのか、悪いことなのか、わかりません、というか、どちらもなのでしょう。環境や状況次第なのでしょう。ともかく、良い気づきでした。


とある夕食・起業家たちと


実は、現在、すでにボストンに移動しています。
こちらでの何か、経験、成長についても、記事を書く予定です。

まだまだ、楽しみです。

Leo

2015-08-15

ようこそ、「ぼんとこ」へ!


凡・東工大生と地球の複雑≪ぼんとこ≫ へ、ようこそ!Leoです。

このブログは、主に僕がお世話になった/なっている方々のための、愛と感謝にあふれた、ハートフル(予定)で刺激的(予定)な、僕の人生備忘録になります。


初めに、ちょびっとだけ、自己紹介をします。
~
 東京工業大学 学部生のLeoと申します。
 実は自宅浪人時代に「りょー、東工大を目指す(りょーとこ)」というブログを書き溜めていたこともあります。今は更新が止まってしまっています。が、特に再開する予定などはありません。http://luntool.blog.fc2.com/

 2015年8月より、中長期の留学をします。主な行先は、アメリカ・西(SV)と東(Boston,NY)、スウェーデン・リンシェーピン、インドネシア・バンドンで、これらを8か月以内で回ります。もっと滞在していた気持ちはやまやまですが、単位やら留年やら、いろいろと、あるのです。
2015.08.01時点、過去の海外経験は、ベトナムとアメリカ(主に南西部)にどちらもほんの10日程度の渡航です。初めて海を渡ったのは、20歳のベトナムでした。人生の転機となる良い経験でした。いつか、これについても記事をかけたらよいと思います。

 今、興味のあるテーマは、「適正技術」「国際発展」「環境共生都市」などです。最近はデザイン思考や哲学にも興味がわいてきています。将来は国際機関か、すくなくとも途上国・新興国開発に携われたら楽しいのかなぁと考えです。が、まだ夢探し人です。真に何がしたいのか、どのような立場で携わりたいのか、どんな未来にわくわくするのか、そしてそれらはナゼなのか。自分の本音と対話をしているさなかです。
~


また、このブログについて。特にルールは決めていません。

 日々の出来事、思いふけった頭の中、出会い、別れ、成長、失敗、なんでも書いていきたいと思っています。もしかしたら「Twitterでやれや。」ってなるかもしれません。けど、こういう内容をこのペースでこの量書く!とか、苦手な質なので、のんびり歩かせてください。

 …とはいえ、二つだけ自分の宣言を示します。至極当然のことではありますが、明文化して自分に言い聞かせたい二つのことです。

1.ネタ探しをしない
 ブログに書くことがないからと言って、ネタ探しのために行きたくもないクラブに行ってみたり、学生団体に無理に活動参加してみたり、そんなことは、しないこと。自分のしたいことや、しなくてはならないことをして、何かあった、何か考えた際に、このブログ経由で発信していきます。なので、しばらく更新がなかったら、真理を悟りに山籠もりしているか、金髪のねーちゃんと遊びほうけているか、だと思っていてください。更新したら個人のTwitterやFBでお知らせするかもしれませんが、とにかく、どうぞ気長に待っていてください。

2.(広義の)うそをつかない
 このブログでは、うそをつかないこと。内容はもちろんのこと、そこから考えたことを「自分じゃない自分になりきって書く」ということは、絶対にしたくないのです。思ってないことも書きません。私が本音で思ったことのみ、綴られます。なんせ、人生の備忘録。振り返った時にありのままの歩みを味わいたい、そんな私の、一読者としての感情が働いています。


これから、いろんなイベントが待ち受けていると思います。思い出、トラウマ、ターニングポイント、出会い、幸運、不運。
心の片隅で、温かく見守っていただけると、幸甚です。

では、武者震いが止まりませんが、新しいチャプターの始まりです。