2015-12-31

北欧総括。

Leoです。


 しばらくぶりのブログ更新になりましたが、相変わらず、悶々と生きています。

※実は、1224日から15日まで、北上しながら旅行をしています。フィンランド経由でさらなる北の大地を目指し、バスと電車に揺られる男二人旅です。その間、連絡が途絶え気味になっていると思います、よろしくです。

北極圏のスキー場から。
たしか、お昼過ぎの写真です





 同じ大学に留学していた友人たちが次々と帰国していく、セメスター終わりの日々。

 それぞれが「普通の生活」に戻っていくと、集まってビール飲んだの楽しかったなぁとか、出会った頃がなつかしいなぁとか、最後まであいつの英語よくわからんかったなぁとか、いろんな思い出がよみがえります。

 そして、僕にもついに、北欧生活の終わりが見えてきました。この記事を書いている今日が1230日。もう、出国まで2週間程度となります。

 実は不思議なもので、名残惜しさはありません。むしろこれまでの生活の終わりに清々しさを感じていたり、次に歩を進めるインドネシアで何が起こるのかワクワクしていたりで、自分でも少し驚いています(日本に帰ったらまたあの目まぐるしい生活がはじまると思うと、ゆったりまったりの北欧生活に執着していたくなりますが…)。

 たぶん、やりたかったことを最大限やり切ったと自負していること、世界との距離が縮まって「どうせまた帰ってくるっしょ」くらいの価値観になってしまったこと、「留学」がもはや「ちょっと場所を変えて勉強した」くらいの感覚になっていること、そして、ある問いに答えを出せそうで、次のステージがもう楽しみで仕方がないこと、あたりが、僕をドライにしているのかなぁ、なんて思います。


 2016年の足音が聞こえてきたので、今年の振り返りなるものを書こうとしていたのですが、やめました。時間の経過が早すぎて、振り返るべき思い出がつい昨日のことのようなのです。普段からこまめに振り返りながら生きる人だからあまり意味ないなぁ、と思ったので、自分の中での整理も込めて、この一年(特に日本を発ってから)を通して変化した点を思いつくだけ、書くことにしました。

 思いついた順に書き連ねましたが、真面目なのが前のほうに、テキトーなのが後ろのほうにまとまったあたり、少しは真面目になったのかな?


*************

・今の自分がしたいことが、初めに来るようになった。

 それっぽいとか、褒められるとか、自慢できるとか、どうでもよくなった。承認欲求のほとんどがどっかにいってしまって、自分のしたいことの実現を無意識に最優先にしている。なにより、それが一番ストレスを感じないのだと気づいたらしい。

・(一つ目と似ているけど)自分に正直になった。

 素直になった。時々話をするときに盛ることはあるけれど、見栄を張るためにつく小さな嘘がアホらしく感じるようになった。むしろ、自分の本心から逆らって何かをするたびに、何かにむしばまれる感覚というか、後ろに下がっている感覚というか、そんなものを抱くようになった。見栄えよく生きるより、泥臭く本心の向かうままに生きたい、と思うようになった。

・長所短所じゃなくて、特徴を見るようになった。

 長所や短所というのは、ある特徴のとらえ方でしかなくて、そこには主観が混ざってしまう。こんな長所があるんだぜ!と手放しで喜ぶでもなく、こんな短所、なくしてしまいたい…と嘆くでもなく、僕にどんな特徴があるのか、そしてそれはどんな時に強みになって弱みになるのか、どうすればもっと良くなるのか、客観的に考えるようになった。そしてそれは他人に対しても同じで、人の悪い面だけ見えてしまうことがあったが、それを生かして何かできるかもしれない。とてもうらやましい性格を持っている人に対して、妬みを感じることはかなり少なくなったように思う。

・思わぬ思考のフックが増えた。

 出国前に、二人の先輩とランチをした際、その二人が話していたことが、やっとしっくりきた。見えない問題を問題として見る時には、あるいは新しい発見を得る時には、いろんな出来事や一見変哲もないことに対して、思考の引っ掛かりが必要だというような話だった。…と、思う。

 僕は、大学で、授業をいくつか取った。そのうちの二つが、僕に思わぬフックを携えてくれるものだった。一つは、文化間コミュニケーション。自分とは大きく異なる文化的背景を持った人とコミュニケーションをとる際、「異文化理解」は大切な要素の一つである。が、実際その差異というのは実態がつかめないものだ。どんな視点から見るとどれくらい離れているのか、判断する指標を持っていないから、というのが一つの理由だ。具体的に言えば、不確実なことをどの程度避けたがるか。振る舞いや思想は、独立的か集団的か。それらを、いくつかのフレームワークを用いて国単位で比較し、議論や発表をする授業だった。

 そしてもう一つは、国際化と国際正義。ジョン・ロールズの正義論をベースに、様々な批判や支持(主にジリアン・ブロックのGlobal Justiceでゼミをした)を戦わせた。足を踏み入れたての僕にとっては週1~2回のゼミ準備で精いっぱいだったが、国際問題に対して先進国はどんな責任があり、後進国はどんな権利があるのか、今までなんとなく考えていたことの根本を、学術的に深めるきっかけとなった。

 これらのフックをもっと鋭利にしつつ、いつかつながって何かが起きることを心待ちにしたい。

・写真に対する価値観が変わった。

 写真をきれいに撮ることや、見たままに写真に残すことに、今までほどに価値を見出さなくなった。写真を撮ること自体は依然好きだが、それが薄まったというよりは、今を楽しむことに焦点を当てるようになった。というか写真に残すことが先行して、今のこの瞬間を楽しむことを少し忘れかけていたことに気が付いた。日本に帰ったら、「今をもっと楽しむツールとしてのカメラ」になりうるカメラを、買おうと思っている。もちろん、美しい写真にメッセージを込めたくなったときには、また写真の勉強を再開したい。

・1か0かという考え方をやめた。

 結局、その間のどこかに答えがあるから。こういうところは1寄りだけど、こういうところで0っぽさがあると言えるよね。という感覚が基本になって、議論はぶつかり合いじゃなくて、パイの生地をこねているようなものなんだなぁと思った。しかしこれのおかげで、ディベートが下手になった(賛成か反対か?を問われても、賛成っちゃ賛成だけど反対っちゃ反対。が常であるからだ)。

・太った。

 飯が美味いんだもん。。。日本を出たころに、「全身バキバキになって帰ってくる!」と豪語して、筋肉の勉強までしていた割には、それ以上に食ってる飯が多すぎ&高カロリーすぎて、おなか回り顔回りがだらしなくなってしまいました。日本に帰って体脂肪率とか測るの怖い。。。インドネシアで鍛えようかしら。。。ただ、料理の腕は格段に上がりました。

・文化に優劣をつけることに疑問を抱くようになった。

 さっき上に書いた文化間コミュニケーションのフックに引っかかったことの一つだ。細かく書くのが面倒、というか細かく書けるほどいろいろ考え切れていないので、これについてはもう少し寝かせたいと思う。

・ヒゲを伸ばすようになった。

 日本にいたころは、人のヒゲを「ある」「ない」くらいでしか見ていなかった。はやす部分、長さ、整え方、髪型とのマッチ感などを見て、個性を表すアイテムの一つとして使っているスウェーデン人を見習い、ヒゲに気を遣うようになった。

・人生というキャンバスの、ベースカラーを一新した。

 いままで考えていた人生観は、自分は常に仕事や勉強をしていなくちゃならなくて、自分の時間や趣味に費やす時間はその隙間になんとか入れるものだ!というものだった。つまり、仕事というベースカラーのキャンバスに、自分の時間を乗せるというような発想だった。しかし、スウェーデン人の多くは逆で、自分の時間という自由な色のキャンバスの上に仕事や勉強を好きなように乗せるので、自由な時間は捻出するものではないことを知った。どちらでもワークライフバランスは考えられるなら、自分にはどちらが心地よいのだろう。と考えた結果、どうやら後者に近いようだった。


*************


 …そんなもんでしょうか。ほかにももっと、帰ってから気づくことがあるはずですが、おいおいゆったりと気づいていけたらなぁと、思います。




 そして、ついに進みたい方向が具体的に見えてきました。

 これまで、地球惑星科学からはじまり、国際開発・貢献・協力、環境工学、デザイン思考、正義論、インドネシア語、、、と、いろんな領域をかじっては次、かじっては次、を繰り返してきました。それを話すと時々、「すごくいろんなことを勉強しているんだね、すごいね!」といわれるのですが、当の本人は真逆で、全部薄っぺらくて中途半端で、僕はいったい何屋さんなんだろう?どれなら、数年間にわたってひたむきに打ち込めるんだろう?いろんなことはしたけど、結局は何も勉強してきていない。なんて中途半端な人生なんだ。と、これまでにない大きさのモヤモヤを、2015年の3月あたりから抱えていました。

 いろんな人と話しながら、そして北欧の暗い一室で悶々と思いを巡らせながら、10か月たってやっとこさ、その問いに答えを出しつつあります。もちろんまだまだ精錬させる必要がありますが、きっと将来長きにわたって勉強・実践をする領域になるのでしょう。それを考えると、ワクワクとニヤニヤが、止まりません。

 日本に帰ってから、今までお世話になってきた、あるいは世界中に散らばった、たくさんの素敵なお兄さんお姉さんたちと、まったりと熱く語りながら、キラキラした顔を見せるのが今から楽しみです。待っていてください。



 今回はこんなところで、終わりにしておきます。
 書き溜めた記事がいくつかあり、更新しないまま2016年を迎えることになってしまうのは心残りですが、気が向いたら更新していこうと思います。


 では、よいお年を!





ほかの記事はこちらから!

2015-11-25

ぼんとこ北欧生活4 ~友達の少ない僕でもできた”留学鬱”への処方箋~

Leoです。



これは、約40日ほど前のお話。

日本を発ってから、いろんなことに、次から次へとワクワクし、あっという間に2か月が経ったころでした。残りの短くなった留学期間、よりよいものにするぞっ!と意気込む仲間の声を聞く中で、僕は一人、やるせなさと、もどかしさと、焦燥感を抱いては、部屋で黙々と瞑想(≒迷走)をしていました。


こういうことは言い始めればきりがないですが、ほぼ新しい生活に慣れて、日本で考えていた「留学」を思い出しては、今の日々の生活のギャップに苦しむ”留学鬱”期というのは、1~2か月でやってくる、と、どこかで読んだ気がします。

それが嘘か誠か、わかりません。



しかし、少し前の僕は、立派なその一人だったように思います。



「うーん、なんか思ってたのと違う…」
「なんか、もっとこう…うーん…」


それはそう、仕方ないことだ、とは思っていました。日本にいて、留学先の生活を完璧に想像できているなんて、それはもう、一種の才能です。



今回は、そんなギャップに対する、僕の対処のお話です。



----------


なーんか最近、違うんだよなぁ…なんつーかこう、もっと「ブワッ」「ドゥワッ」って感じのを想像しててさー…


なんて、わけのわからない擬音を使って友達に愚痴っていると、トビタテ!3期の応募用紙(困難を克服した経験)に、こんなことを書いていたことをふと、思い出しました。


"そこで私は、当初の主目的へのモチベーションを維持させる方法をただ徒然に模索するのではなく、理想と現実にどんなギャップがあるからそれが起こっているかを分析し、理想へのステップを論理的に考察・構築することにしました。現状を観察していると、まずはじめに「あるべきメリハリが浸透されていない」ことが理想と現実のギャップで、それの解決方法として「模範的な姿勢をリーダーが率先して見せる」ことが効果的だと考えました。(中略)今回の留学において直面する困難に対しても、解決策をおおざっぱに考えるのではなく、現状の分析と論理的なステップの構築を心掛けることで、自分個人が抱える問題や所属するコミュニティで発生する問題にアプローチしようと思います。"


というわけで(?)、部屋に帰って、「別に不満ばかりというわけではないけど、なんかモヤモヤしている」ことから脱却することを目的とし、論理的にどうしたら抜け出せるかを考えてみることにしました。



1.行き先を決める   


まず、現状の分析を行おうとしました。というか、自分が今の環境や状況に対してどう思っているのか、体系的に知りたかったのです。

やり方は、
・ 今の生活に関して思うこと
・ 最近の過ごし方
・ 印象に残ったエピソード
・今、一番したいこと
などを、思いついてはざっくばらんに付箋に書き出し、壁にペタペタと貼っていきました。形から入る性格の僕にとって、白いドアがカラフルな付箋で埋まっていくのを見るだけでも、少しテンションが上がります。


こんなかんじでテキトーに

すると、「最近、勉強も筋トレも、ちょいと中途半端だなぁ」みたいな細かいことから、「そもそもどういう生活を手に入れたいんだっけ?」という大きなことまで、いろいろと出てきました。


なので、主軸となりそうな一番大きいことから手を付けます。まずは、この分析自体のゴールを、


留学生活を、もっと有意義で
ぶっ飛んだ経験にしたい!

と、定めました。


では、その「有意義」「ぶっ飛んだ」とは、何なのでしょうか。自分に再度問いかけて、書き出して、まとめます。

有意義
日々の活動・勉強が、ある目的に結びついていて、意義があると自分が納得できること、コストに見合っていること

ぶっ飛んだ
環境的にできるかできないか、ではなく、やりたいこと、興味のあることに斬新に飛び込んでいくこと

…らしいです。
(もちろん、正確に辞書的な意味ではなく、頭の中のイメージを既存の言葉で言い換えてみただけです)

では、有意義たる「ある目的」とは、なんなのか。思考をめぐらすとそれは、どうやら以下の三つのようでした。

1.世界で戦える、たくましくてナメられない人間になる
2.自分の思う「あるべき世界」を考え、見つける
3.新たな刺激にまみれて、たくさんの発見をし、よく考え、豊かな人になる


なるほどなるほど。

では次に、小さな事柄に着手します。




2.現状を知る   


細かいこともたくさん出てきました。主軸が定まったので、それをわきに置いといて、次は、日々の小さな出来事や、なんとなくモヤモヤを感じた瞬間などを、満足と不満にざっくり分けてみました。

「満足」
・日本よりも、使える時間がたくさんある
 →あと4か月もある(当時)
 →使えるお金も、まだ○○円もある
 →しかも生活の基盤は整っている
・日本に興味のある学生と仲良くなった
・日本人が多くて、生活に不便はない
など

「不満」
・勉強と筋トレが中途半端
・日々の密度が薄い
 →人とのかかわりが少なく感じる
 →日本でもできることばかりしてないか?
・ワークショップ、フォーラム、見つからない
など


ある程度挙がったのちに、似ているものをくっつけたり、含みのあるものをバラしたりしていると、「あ、これはこうしたら、もっと満足できるな」とか、「これは新しく、あれを始めればうまくいくんじゃ?」とか、モヤモヤが晴れるアイデアが湧いてきました。

何事も、明文化して目に見える形にするのがとても大切だと、言われる意味が分かったような気がしました。




3.行動を考える   


その浮かんだアイデアたちをアクションに落とし込んで、この分析を終わりにします。それから、あとは少し様子を見ることにしました。


本棚に張り替えてみた、の図



どうやら大きく分けて4種類くらいしかアクションのパターンはなさそうだな、と思ったので、全部を次の4つに当てはめることにしました:
1.Stay:そのままやり続ける 
2.Improve:改善して続ける 
3.Quit:ズバッとやめる 
4.Start:新しく何か始める

常に「1.行き先を決める」で定めた主軸に沿って評価をしていくと、一見満足していたことがただの惰性や甘えだったり、不満に思っていることは大きな飛躍の余地だということに、気づけます。


結果、4つのアクションに落とし込むことができました。特にここでは載せませんが、翌週からこれらを実行することで、この分析を行ってから、生活の質が圧倒的に上がりました。




4.まとめ   


やったことはただ単に、


一人でブレストして、
一人でモヤモヤを噛み砕きながら、
一人で解決策に落とし込みました
(ぼっち感)

ということでした。

正直な自分の気持ちに向き合うことは、時に照れくさく、むずがゆく、恥ずかしいです。が、一時の恥を捨てて、目の前に自分の感情が文として露わになっていくのは、振り返るととても機能するプロセスでした。


モヤモヤは放っておけば大きくなって、もっと手の付けられないモヤモヤとなり、手を付けるモチベーションさえ奪います。

違和感を持った時、なんとなく「ぐぅぅ。。」と引きこもったり、おいしいものを食べて一時的な欲を満たしたり、SNSで承認欲求を満たしてみたり、時間の問題だ!と言い聞かせて少し無理をしたりしたところで、一時的にモヤモヤが見えなくなるだけで、日が沈み昇れば、膨らんだモヤモヤが再度やってくるのだと、Empirical Factとして、知っています。


徹底的に、論理的に、問題と感情に向き合ってみることで、こういうギャップにモヤモヤしてたのか。って、鳥瞰的に気づくことになりました。

画面の前のモヤモヤさん。
是非、お試しあれ。



----------


最近、僕の住んでいる地域では、基本的に曇りで暗く、晴れていても8時ごろまで暗く、16時ごろからすでに暗いです。晴れていてもずっと夕方みたいな感じです。気温も一日を通して0℃を上回らなくなってきました。若干、風邪もひいています。

こんなサディスティックな環境下で、ますます憂鬱になってしまわないよう、自分をよく知り、素敵な生活を創っていく所存です。


では、また。

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Leo

2015-11-15

パリ襲撃テロと、僕の頭の中の話


Leoです。




とても悲しい事件が起きてしまいました。突然のテロというものは、本当に恐ろしいことだと想像します。

パリの襲撃テロのニュースをはじめに見たとき、いろんな友達の顔が浮かんで、どうしたらいいのかわからなくなりました。

すぐに彼らの挙動をFacebookで確認しながら、ニュースを追っかけながら、

あぁ、生きてる、本当によかった。家族や身の回りに被害はなかったかな。彼・彼女らは何を考えているのかな。友達だけでなく、パリに住んでいた人は。亡くなっていった人は。世界中のイスラム教徒は。実行犯は。ダーイシュは。僕に何ができるのかな。何を感じて、何に昇華することができるかな。

…というようなことを、北欧の小さな一室から、悶々と考えていました。


知り合いのフランス人に片っ端からメッセージを送って、彼・彼女らの身の回りの安否を確認しようかな?とも思いましたが、しませんでした。

無論、たまらなく心配であるし、友達が事件に対して何の感情を抱いているのか知りたいし、もし話すことで楽になれたり、なんとか僕が力になれたら、とは思っているのですが、それがどんな恐れで、どんな悲しみで、どんな怒りなのか、顔の見えない指先のやり取りでは分からないと、思ったのが、主な理由です。




再度、友達のポストを確認するため、Facebookのフィードを開くと、フランスの三色に染まった友人の顔たちがそこにありました。

それに対し、ちょっとだけ、疑問符がついてしまいました。
LGBTの時の、カラフルなやつと似たような感覚で、Facebookで一時的にできる意思表明。追悼。祈り。しかも今回は(前回もあったのだろうか)、ワンタッチで手軽に変えられるボタン付き。

最初見たときは、特に何とも思わなかったのですが、バカな頭なりによく考えていると、ん?と、なんか、引っかかる。




みんな、どれくらい思いを馳せたのだろう?

思考の終止符になってしまっていないか?




多くの人にとって、Facebookのプロフィール写真をいじるというのは、少なくとも毎日の日課ではないし、なにかライフイベントがあったときにすること、という認識がある気がします。というか、僕はそんな感じ。

だからこそ、写真をこの機会に変えることは、自分が「何か普段しないことを一つ、した」という体験をもたらしうる行為だと、勝手に思っています。


そして今回のテロは、想像が間に合わないくらい、大きくて悲惨な事件の一つだと思います。そして、この事件のことを「知っている」「同情している」というメッセージを込めて、写真を変えているのだと察します。




だけど、指先一つで「この事件のことに関心を持っていて、知っていて、考えています」みたいな気持ちにさせちゃうこの気軽すぎる機能って…どうなの?

そして、ボタン一つで写真を変えただけで、#PrayForParisって呟いただけで、今後流れるように入ってくるニュースに「おっ」と反応することだけで、自己満足する人を、もしかしたら大量生産してしまうのでは


僕は、僕が、この事件がきっかけで人生が変わった!とか、ダーイシュへの対処を考えるために命を懸ける!とか、なるのかどうかわかりません。いや、ならない可能性が高いです。正直。

だけど、深刻な問題だからこそ、複雑に絡まったことだからこそ、人が亡くなっているからこそ、明日は我が身かもしれないからこそ、こんなシンプルな「知ってるよ、祈ってるよ」を自己満足的に済ませてはいけないと、考えています。


画像を変えて、「よし。」と、勝手に終止符を打ちやすくなってしまったこの風潮は、少し悲しいです。




アメリカ全州でLGBTの結婚が認められたとき、Facebookではいろんな友達が、にぎやかなお祭り騒ぎのように、こぞって、気軽なCerebrationの意思表明をしていたのを知っています。

その時も何かもやもやと考えていた気がするのですが、まぁ理解している人がたくさんいる、応援されてる、うれしい!ってなるのか。と、実際のLGBTの友人に聞いてまわって、その時は納得することにしました。

今回でちょっと自分の頭の中が読み解けた気がします。まだ、もっと深く、考えられるはずですが、一歩前進。



加えて言及しますが、そうしている友人や世界中の人を、否定しているわけではありません。その人が、きちんといろいろと考えたうえで、そうしているのであれば。その人なりに意味があって、メッセージがあって、ただ「何かをした」という経験自体に自己満足をしてしまわないのであれば。






というわけで、以下にいくつかの意思表明を残して、筆をおくことにします。

僕は、

・今は自分のやりたいことを貫徹しながら、同時にこの事件に関するニュースを能動的に仕入れて、自分をUp to dateにしておきます。
・ある程度、今の自分のバタバタが落ち着いたら、有識者による意見や国民の議論を追い、自分はそこから何を考えたのかを整理します。
・周りのフランス人や被害をこうむった人、イスラム教徒など、だれに対してもこの話題をタブー化せず、生の声を(常識の範囲内で)積極的に知ろうとします。




運よくこの記事にたどり着いてくださった少しの方々が、どうか、当事者意識と生の感情を持って、心の底から祈りをささげていらっしゃいますように。


末筆ですが、起こってしまった悲劇の傷が少しでも早く癒えるよう、もうこんな酷いことを起こさないよう、世界の人たちが協力し合えますように。



Leo

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追記の参考記事:
(参考にして書いた、という意味ではなく、似た色を持つ記事を見つけたので、リンクを張っておきます)

あなたがフランスに祈りを捧げる前に知らなくちゃいけないこと。

FBプロフ「フランス国旗化」に対する強い違和感

『Facebook』プロフィールをトリコロールにする前に考えたいこと

代弁されず報道されず死んでいく人たちのこと

2015-11-08

僕に最も影響を与えた女子中学生と、英語の話3【英語学習TIPS・完】

Leoです。

1と2はこちらから
1.【アホ高校生と中二女子 編】
2.【バカ大学生の英語学習 編】



…あんまり、女子中学生、登場しなかったですね。いいのです。感謝を込めた、自己満です。


今回は、英語学習者のための、精神論的な、話を載せてみました。これで偉そうに語るのは最後です。ごめんなさいでした。

ただ、僕は、細かい学習方法うんぬんより、語学習得には、こっちのほうがずっと大事だと、強く思っています。



では、さっそくいきましょう。


目的意識をはっきり持つこと



まず、これだと思っています。

前回書いたように、この前のメソッド云々を鵜呑みにして、よさそうだから、さぁ明日から始めよう!というのは、あまりおすすめしません。

どうして英語がうまくなりたいのか?

人によって、その問いに対する答えが、目的が、程度が、イメージが、大きく異なっていて、それぞれに対する最善手もまた、異なってくるからです。たしかにペンパルはお勧めしますが、これはあなたの目標とする方向とはズレているかもしれないのに、「英語を勉強している」という大枠から外れていないという認識でぐいぐい進めてしまっては、もったいないと思います。

じゃあ、細かい点数とか、評価方法まで目標を設定しないとなのか?
そこまでは言いませんが、少なくとも、以下の動画で示されている4つのカテゴリのうち、自分の目標はどこに属するのか、理解しておくことが大切です。

また、もちろん動機づけはモチベーション維持にもつながります。時間がかかる語学学習は、初心やワクワクを忘れずに、進み続けることも、大切なことです。僕は自分のモチベーション管理が苦手なので、英語が喋れている自分をよくイメージしたり、どう英語を使いたいのか、喋れたらどんな選択肢が広がるのか、よく妄想していました。

(参考動画:英語はどうすればよくなりますか? - Rachel and Jun)



自分の英語に、自分という人間に、自信を持つこと



僕は、初めのころは自分の英語力に自信がありませんでした。いろんな機会に、片っ端から、ビビッていました。そんな時、私は日本語を話せるよ、と”英語で”嬉しそうに話しかけてきた外国人に出会いました。聞くと、「ありがとう」「サムライ」「もったいない」みたいな言葉だけで、僕にとって”話せる”とは大きくかけ離れたレベルでした。

だけど、その人は、その人の色眼鏡をかけると、もうすでに”話せる”のです。それは思い込みではなく、価値観の違いでした。その自信がうらやましくて、僕も虚勢で、「英語喋れるんだ?」と聞かれた時には、「うん。もちろん」と答えるようにしました。

自分の英語レベルはこれくらいだけどね。と付け足してはいましたが、自分の英語力を受け入れて、等身大で勝負するという覚悟は、国際交流をより楽しいものにしてくれました。それからは、
「俺はこれくらいしかしゃべれない、聞けないんじゃ!お前のほうがうまいんだから、これに合わせて理解しようとせえ!もっと優しく、ゆっくりしゃべらんかい!!」
くらいの勢いで、英語をしゃべっていました。笑

大抵の人は日本語をしゃべる時より、英語をしゃべるときに、無意識に声が小さくなります。僕みたいなたった数か月の留学でも、留学前よりも英語でのコミュニケーションが取れるようになるのは、滞在中の伝わった体験から自信をつけることが、一つの要因だと考えます。声を張って、胸を張るだけで、驚くほどコミュニケーションが円滑になるものです。





そもそも話すことに慣れること



普段、日本語で話すとき、何の話をしていますか?僕はコミュ障なので、日本語でも、話題を作って広げて、盛り上げることが苦手でした。いや、実は今でも、得意ではないです。ましてや、それが自信のない英語での会話となると、、、もう八方ふさがりです。話を始めようにも、話題が出てこない。話を続けようにも、次の一手が出てこない。

それで、僕はどうしたか。

日本人の新しい友人と、1~2時間お茶をしながら話しました。その際、自分は何を話すのか、客観的に観察しました。何を勉強しているかから始まり、サークルではどんなことが楽しいのか、コーヒーと紅茶どっちが好きか、趣味は、バイトは、彼氏彼女は、などなど。意識してもしなくても、意外と出てくるものでした。

英語も日本語も、会話をするための言語です。日本語でできていることは、英語でもできるはずだと思い、英語で話す際に、その話題たちを心の片隅から引っ張り出しながら、話すようにしました。

実は、外国の方としゃべる際は、話題作りという面で言えば、それよりも楽です。なぜなら、国や文化の差異を尋ねると、自然と数時間なんてあっという間にすぎるからです。

・僕は地球惑星科学を勉強しているが日本ではあまりポピュラーでない。君の国では?サイエンスとか宇宙産業とか、どういうイメージあるの?とか。
・君がバイトをしていないのはなぜ?お金はどっから出ているの?それは君の国では普通なの?どういうバイトが人気なの?とか。
・ここに箸があるけど、君の国では使う?コメは食べる?アジア料理、日本食って広まってる?どんなSushiがある?とか。

それを繰り返す間に、いちいち話題なんて考えなくても、好きなことを好きなように話せるようになりました。今では、無理することなく楽しく会話することができ、友達も増えました。





飛び込んでみたいかも…→無邪気に飛び込むこと



食堂の留学生に、はなそうよ!と飛び込んで、ごめん、人待ってるから…と断られた経験よりも、理由をつけて「今日はやめとくか…」と普通に友達とか一人でご飯を食べたことのほうが、記憶に深く残っています。

何か新しい機会に飛び込んで、失敗した時のことは、考えないと、行動範囲が広がります。と、口で言うのは簡単なのですが、実際は難しいものなのですよね。ですが、失敗しても、何かを失うわけじゃないはずで、その一歩を遮っているのは、その人の心だったりします。

イベントとか、プログラムとか、参加しない理由が条件や環境ではなく、心にあるのなら、一回目だけドキドキしちゃうんだ、と自分をだまして(?)、飛び込んでみてください。つらいのは、たいてい、その一歩だけです。笑

また、誰かと一緒に飛び込むことも、助けになります。僕の場合、そういう仲間を見つける前に一人行動が好きだったので機能しませんでしたが、一人の心細さを後押ししあえる仲間が見つけられると、より勇気のハードルは下がるかなと思います。




日本人と英語を話す壁を取っ払うこと



日本で行われる国際交流のイベント(特に僕のサークルのもののように、学生が行うもの)に行くと、十中八九、英語を勉強したいor国際交流したい、日本人の姿をよく目にします。だけど、そのような場で日本人同士で英語で話すことに、抵抗がある人が、僕の周りに多くいます。

あなたも、その一人ですか?だとしたら、いったいいくつの”英語を話す機会”を失い続けてきたのでしょうか?

僕も最初は、思い切り恥ずかしがって、できるだけ日本語に逃げよう逃げようと、ちがう努力をしていたことを覚えています。
でも、冷静に考えて、勿体ないですよね。日本にいる限り、大抵のイベントには日本人がいるのだから。なので、克服するために分析してみました。どうして、僕は、日本人と英語を話さないんだろうか、と。

僕の結論は、この3つに落ち着きました:
1.言いたいことが、正確に伝わらないかも
2.なんか気取ってる、と思われそうで恥ずかしい
3.自分よりうまい人から、内心馬鹿にされてそう



1.言いたいことが、正確に伝わらないかも

言いたいことが、言いたいように正しく伝わらず、伝わらなかったときに説明するたびに日本語を使うことになったらどうしよう、とか、なんか心地よくない経験をしそう、とぼんやりと思っていることが、理由の一つであることに気づきました。

でもたぶん、帰国子女か、相当長い海外経験を積んだ人でない限り、日本語でするように流ちょうで質の高い対話や議論をすることは、相当な時間がかかるものです。僕も、英語で話すと思考のレベルが格段に下がるし、うまいニュアンスをほのめかせずに、誤解が生じることは多々です。

そういう時は、僕は、日本語を混ぜます。時に文単位で、時に単語単位で、時に話をする話題単位で。そうすると、なんとなく相手に自分の意図(英語の学習を兼ねて日本人とも英語を話している)が伝わり、相手もあえて英語で話を返してくれることが多いです。むしろ、それがきっかけでなにか英語学習のヒントを教えてくれるかもしれませんよね。

なので、本当に大事な話は日本語でしていいし、英語でしゃべっていてわからない表現や単語は日本語を混ぜればいいし、その使い分けで、解決できるかな、と考えています。

2.なんか気取ってる、と思われそうで恥ずかしい

別に日本語でも通じるのに、あえて英語で話すなんて、なんか"ぶってる"よね。とか、海外かぶれだ。イタいよ。とか、言われたり思われるのが恥ずかしいことも、理由の一つでした。

これが、本心で理由なのならば、あえて強くお勧めはしません。しかし、よく考えると気取ってるといわれたことは無いし、「国際」「英語」というキーワードに興味がある人であればたいてい、そう思わないのではないかと、思い始めました。僕はただ単にこれを小さな言い訳の一つに仕立て上げ、英語でしゃべることから逃げ続けてしまっていたのでした。

3.自分よりうまい人から、内心馬鹿にされてそう


これも、2.と同様です。ただの言い訳だったと気づきました。

実際、多くの英語学習者は、どのようなレベルであれ、尊重されるべきだと考えます。自分の英語力を馬鹿にする人とはそもそも、積極的には付き合わないことにしました。そして、同じ意思を持った人は、きっと馬鹿にするようなことはなく、真摯に向き合ってくれるはずです。



以上です。


挙げたこれらは、もちろん、答えではありません。取扱注意の未完成品です。もっと有用な心持やメソッドが、この広い世界には転がっているでしょう。

だけど、僕はこれらの見解を、原体験を以って、お勧めします。僕が体験したという根拠と、今英語を喋れると豪語している事実がつながっていると感じるからです。


とにもかくにも、何か僕の気づけていないこと、読んでくださっているあなたの考え、ぜひぜひ聞かせてください。僕も、もっと英語うまくなりたいです。


では、誰かの、何かの参考になれば幸いです。

…英語、しゃべりましょう!!

Leo


参考:
http://thechange.jp/mokumoku7-6829.html
http://tedxtaipei.com/articles/your_body_language_shapes_who_you_are/
http://northdelawhere.happeningmag.com/wp-content/uploads/friends-talking.jpg
http://twentysomethingliving.com/missing-my-courage/
https://lukascondie.wordpress.com/2015/02/27/my-thoughts-on-breakthrough-moments/

2015-11-01

僕に最も影響を与えた女子中学生と、英語の話2【バカ大学生の英語学習編】

Leoです。

連載二つ目の記事です。一つ目はこちら


更新通知が来るようにできないのかと尋ねられましたが、一応、僕のTwitterで更新情報を垂れ流しています。…が、通知を受け取るようなLIVE感のある記事なんて、ないので、一週間に一度くらい見てくだされば、それで、十二分でございます。。。



では、続きです。



バカの勢いは止まらない ~SAGEに入部~

自分と違う文化・背景を持った人は、
どうしてこんなにも魅力的に映るのでしょうか


2013年4月。
一年間の自宅浪人を経て、東工大に入学します。

現役生との差別化を図りたい焦りや偶然の出会いもあり、今までにやっていたような音楽やサッカー・フットサルではなく、国際交流サークル「SAGEに所属しました。(大学生活前半の課外活動等について、詳しくは別記事で書きました(工事中)。


このサークルでは、海外から東工大への訪問学生に向けてキャンパスツアーをしたり(もちろん英語)、院生向けの留学説明会のお手伝いをしたり、さらには日本で国際交流イベントとか短期留学プログラムとか作ったり、ミーティングは日本語でしたが、メール対応やイベントの司会など、英語に触れる機会が豊富でした。

当時、英語レベルは僕がダントツの底辺で、僕よりできないメンバーなど皆無でしたが、持ち前の愛と勢いだけで、役職を得たり、係を片っ端から引き受けたり、このサークルにできる限りの時間と労力をつぎ込みました。


香港の学生にキャンパスを案内




さらには、それに飽き足らず、学食で普通にご飯食べてる留学生の机に相席して、

「Hi! I'm Leo! May I have a seat??」
と、謎のバイタリティで友達の輪を広げていきました。


そして、大学に入ってから始めたバイト先(焼肉屋さん)では、いらっしゃる外国人のお客さんは、基本的に僕に対応させてください!!とお願いしていました。
老舗だったので、英語ができることを期待していらっしゃる人は少なく、褒められるたびに自信をつけていきました。


「俺の人生で、自分が英語喋れるようになるなんてこと、ないんだろうなぁ。」



あれ…すげぇ、今、喋ってるじゃん。

勢いだけで、文法はめちゃくちゃかもしれないけど、言ってることも誤解してるかもしれないけど、心から国際交流を楽しいって思ってる自分が、そこにはいました。

そして、友人の輪も広がり、日本語を使わないコミュニケーションが取れていることを実感しました。



だけど、面白いもので、現状になかなか満足できない性格の僕は、またすぐに壁を作ります。



「言うても、国内で英語学習がんばろ。海外で、”英語で勉強”するなんて、夢のまた夢だよな…」




そう感じた1年後…



やってんじゃん。。。(真ん中の白い服)

ベトナムで約2週間かけて、東南アジアの学生たちと深夜までディスカッションを繰り広げ、英語でプレゼンテーションをしていました。記念すべき、初めての外国でした。


「短期は乗り切れたけど、長期の留学ってめんどくさそうだし、留年したくないし、さすがに無理だわ…」





…スウェーデンなう



次に何を見据えているか、特に言わないでおきますが、このようにして、どこまで行っても「俺には無理だ…」と次の壁が見えるのが、僕の常です。

そして、それをひとつずつ、ぶち破っていくことが、楽しくて仕方ありません。



そんな背景を通じて、今、僕は英語が喋れます。




偉そうに英語学習語ってみた

黙って英語勉強しやがれ


さて。

この記事を続けて読んでくださっている方の中には、英語の学習(特に、喋る・聞くの部分)に前向きな方が多いかと思います。自分の経験をもとに、オススメの勉強法と、その理由を細かく説明してみます。

(ちなみに、精神論的な部分を、次回の記事(工事中)で更新します。今回は、メソッド的な部分のみです)


僕の尊敬するJunさんという人がいます。
アメリカ人の妻を持つ、外語大出身のお兄さんで、Youtubeにいろんな動画を出されています。

(お二人のチャンネル「Rachel&Jun」登録推奨!


彼のこの動画の中でも言及されていたのですが、引用させていただくと、英語を学ぶ目的によって、効くコンテンツや伸ばし方は大きく異なります。ここで紹介しているのは、彼の言う4つめの「”ケンカ”英語:点数を取る英語ではなく、伝われば勝ちの英語」を身に着けたいと思っている方向けだと思っています。

(というか、TOEFLの点数の上げ方とか、むしろ教えてください)



*洋楽で発音


英語学習者にとって、発音は忘れられがちだけどとても大切なことだと、経験的にですが、感じています。

どうして正しい発音を身に着けるべきなのでしょうか。

日本語訛りの英語はどの地域の人にも伝わりづらい(日本を除く)ということが、まず思い浮かびますね。その通りだと思います。カタコトの英語をしゃべった日本人に対し、「日本語がこんなに英語に似ていたとは知らなかったよ」と揶揄されるジョークを耳にしたときに、あぁ、あるある。って思ってしまったくらいです。
だけど、僕が感じる理由は、それだけではありません。ほかにもたくさん、良いことがあります。

英語がうまいね。と言われることが多くなります。発音に特に気を付けて喋ろうとする日本人は意外と少ないし、とぎれとぎれでもそれっぽく聞こえるからです。これは、英語、カッコいいから喋ってみたい!というような”不純な”理由の学習者にとって、十分なモチベーションになりえます。

そして、洋画ではなく、僕は音楽にこだわります。洋画よりも、ネットで確実に歌詞を手に入れられるし、お金もそこまでかからないし、必ずしも目で見る必要もないからです。洋画よりも生きた英語ではないですが、この手軽さと比べると、一回に時間がかかったり、中途半端にお金を費やしたりするよりは、継続して、結果的に良い方に転がる人は少なくないはずです。そして、J-POPには目もむけない外国人たちとの会話の種にもなります。

また、僕は個人的に、歌詞を見ながら、なんとなく意味を予想しながら聞いてみていました。好きな曲やアーティストをいくつか見つけて、発音をモノマネしながら歌詞を見れば歌える状態にすることで、自分の中に使えるフレーズが溜まりもしました。



*ペンパル


前回記事で紹介した、ペンパルという手段でも、”スピーキング”と”リスニング”の一部分が上達すると、僕は思います。

どうしてペンパルで、スピーキングとリスニングに生きるのでしょうか。

その回答は、反射神経と、速攻英訳力、が主に成長として感じます。ということです。

1つ目の「反射神経」とは、要は読みながら返信(意見)を考えるクセの付いたということです。
これは実際の会話にとても役立ちました。メールが返ってくるたび、一文一文に対して返信を繰り返していたら、人と話しているときも、「全部聞き終わってから、さぁなんて返そうか?」じゃなくて、喋ってる一文一文に対して、俺はこう思うとか、それはこういう意味?とか、話を聞きながら考えるようになりました。言葉で表すと難しいですが、とにかく、日本語で話していると自然とできるのに、英語だと乗り越えにくかった壁を、壊してくれます。

2つ目の「速攻英訳力」は、日本語で言いたいことを、そっこー「くだけた英語」に直すことに慣れたということです。
英語で考える脳になれば一番早いのですが、なかなかそううまくいかなかった僕に、この速攻英訳力は、その正反対の能力でした。しかし、楽しい会話やスムーズな会話にはテンポがつきものです。留学をして英語に浸って英語脳にする!なんかよりも、そのテンポはもっと安価で、手軽に身に着くものでした。そこから始まり、今では「言いたいことのイメージ→日本語文→英語文」ではなく、「言いたいことのイメージ→英語」と、僕は頭の中で直接的に訳すことができます。

ちなみに、僕が使ったのはJapan-guide.comというサイトでした。目的は違えど、日本に興味がある外国人ばかりなので、絡みやすいし、多くの人は協力的です。メールアドレス一つで登録できますし、僕がうだうだ語るよりも、使った方が早いと思います。

航空券やホテルの検索サイト・エクスペディアみたいに、条件を入れるとプロフィールがずらーっと出てきます。掲示板を見て、気になれば個人的にメッセージも送れるし、自分もプロフィール登録して投稿できるし、このシンプルな使いやすさは保証します。

ただし、注意点があります。普段のメールやメッセージのやり取りは、少し時間がかかっても「自分が目標とするレベルの英語」で書こうと努力することです。くだけた話し言葉で文法を無視してメールをしていては、くだけたレベルの英語以上にうまくなるということはあり得ないからです。

また、何が起きても当ブログは一切責任を負いませんので、くれぐれも自己責任でお願いします。

*えいぽんたん


リンクはこちらから (AppStore / Google Play 地味に単語力を増やしたいと思っている方、少なくないと思います。だけど、単語帳今更やるのもなぁ、、、な、そこのあなた。シス○ム英単語とかター○〝ットとかやり直すくらいなら、手軽なこちらをどうですか?
お堅い単語帳アプリよりも、ゲーム感が強くて、はまりました。(僕は、最近、個人の嗜好としてゲーム感よりガチのが欲しく、別のものに移行しましたが、一時期、暇さえあればパズドラとこればっかやってました。。



とまぁ、そんな感じです。


誰でも英語学習の自分なりに構築したメソッドがあると思います。こっちのほうがいいお!っていうのがあれば、ぜひ教えてください。僕も実は、絶賛模索中です。


また、ここに書いてることを鵜呑みにして、明日から始める、何てこと、どうかやめてください。

理由は次回記事にて。では。


Leo



参考
http://www.titech.ac.jp/news/ (1~3)
http://sd.keepcalm-o-matic.co.uk/i/keep-calm-and-study-english-32.png

2015-10-26

僕に最も影響を与えた女子中学生と、英語の話1【アホ高校生と中二女子編】

Leoです。
自己紹介はこちら


今回は、僕の英語について、過去の経験を整理しながら書いてみました。

英語学習者のためになるかどうかは分かりませんが、全文書き終えてから、最後のほうはそこはかとなく、つまづいている人に向けた文体に修正してみています。軽い気持ちで覗いてみてください。

※なので英語自信ニキの方は、さようなら(´・ω・`)


(最近、記事の質が落ちてきたので、量よりももう少し質を重視して、今後更新していこうと思います。。。)
(あと、文字サイズ大きくしてみました。どっちのほうが見やすいんだろう…ご意見求ム)
(いつか、Crystalにも読んでほしく、英訳したいです。できっかな)


(自慢のように聞こえかねない文章になってしまった気がしますが、本意ではありません。もしそう感じたら、それ以上読まないことをお勧めします)





僕に最も影響を与えた女子中学生

英語の話





まえがき


大学で国際交流サークルに入っていることを話すと、よく「じゃあ英語喋れるんだ?」と、聞かれます。まぁ、国際交流背負って名乗ってるわけですから、そりゃそうですよね。
で、それに対し、まだまだ発展途上ではあるものの、「僕は英語が喋れます」と、胸を張って言うことに決めています。



参考までに更新日現在の英語レベル(聞く・喋る)を以下に箇条書きで明示してみます。

大丈夫
・日常生活

たいてい大丈夫
・多少テクニカルな話(プロジェクトマネジメントとか北欧史とかOKでした)
・英語のSitcomやMovie、Youtube、TEDなど
・複雑な人間関係の話
・初めてするトランプゲームのルール(ただし負け続けた泥酔時を除く)
・少し訛ってる非ネイティブ(EUだと、ゲルマン語族系はほぼ平気)

ちとつらい
・訛ってる非ネイティブ(特にラテン語族、インド、ベトナム、インド、南インド)
・ラテン語族特有のイントネーション(スペイン人は知ってるスペイン語でしのぐ)
・早口なNative Speaker
・British English(語彙と発音がきつい→これとか字幕つけて観たい…)

つらい
・専門分野等の深い議論
・礼儀正しい、お堅い語彙・言い回し、書き言葉
 イ ン ド 人 全 般


…と、そのくらいのレベルのところに、います。


わかりやすく言えば…帰国子女、ビジネスで英語をゴリゴリ使う人、TOEFL100点台の人、とかからすれば、
「あぁ、そう(笑)すごいんじゃない(笑)」
くらいのレベルです。上の下か中の上か、みたいな。喋れます、が、たいしたことないです。


けど、実は高校生のころ、英語の授業が苦手でノイローゼになっていたことを考えると、ちょっと視点が変わるでしょうか。そんな話題から結びつけて、最後に英語学習に対するちっぽけな持論を展開しようと思います。





英語が大の苦手だった高校時代

何が何だか……


高校では、クラスメイトからも先生からも馬鹿にされ、赤点ギリギリの点数を取っては警告を食らいつづける、怒涛の3年間を過ごしました。三年生の初めごろに解いたセンター試験模試で、点数が二ケタだったという伝説もあります。授業もわからないから寝ちゃうし、寝ちゃうからわからなかったです。(しまいには、大過去って、ずっと石器時代とかのことだと思ってました

俺の人生で、自分が英語喋れるようになるなんてこと、ないんだろうなぁ。と、自他ともに誰もが信じ切っていました。


でも英語喋ってる日本人って、なんかかっこいいですよね。
関根麻里さんとか、伊勢谷友介さんとか、CMで見てて、すげぇなぁって。石川遼さんとか、渡辺謙さんとか、マシ・オカさんとか、世界を舞台に戦ってるなぁ輝いてるなぁって。思いませんでした?

外国人の友達も、カッコいいから、ほしかったです。周りのみんなが話せない中、俺だけペラペラしゃべってたらやべぇなぁモテるなぁって。今考えると、「なぁに中二こじらせとんじゃ」って盛大に突っ込んでやりたいです。


そしてなにより一番は、周りのだれもが信じ切ったその前提を覆したら、超面白いじゃん、という、目的もクソもない強いモチベーション(承認欲求強め)だけがありました。


そう。
今となっては「英語は道具。それを使って何をするかが大事だよ」なんて、一般論が体に染み付いてしまいましたが、始まりは、かっこよさと、その憧れだけでした。

だから、受験で使うリーディング、リスニングなどは脇に置いといて、しゃべる時の発音を、洋楽をまねして練習していました。うん、やはりこの、形から入るあたりは、ずっと昔から頑なにブレていません。

どうでもいいことですが、初めてちゃんと聞き始めたのは、高校一年か二年生の時、Back Street Boysでした。いまだに、その曲を聴くと、通学路を思い出します。高校、禁止だったのですが。先生、昔はごめんなさい。(ほんとにどうでもいい)


見るだけでなつかしい。
そして、すこぶるどうでもいい


何を歌ってるかわからないし、歌詞見ても訳せないし、ただ聞いている自分に酔っていたのでしょう。ただ、幸いにも発音だけにはセンスがあったのか、発音のルールとか舌の動きから”勉強”せずとも、モノマネみたいな感覚で、RとLの発音などを別のものとして理解したり、それっぽく発音できたり、していました。



で、それに加え、なにがきっかけだったか忘れましたが、(まぁたぶんどうせ「外人の友達がほしい!」とかだと思いますが)ペンパルという素敵な概念に出会いました。それが、高校2年生の後半。




Leo少年、ペンパルに出会う

手書きだったら少し変わっていたかも


ペンパルとは、広義に文通という意味です。

私が出会ったものは特に、ネットで探した外国人と英語でメッセージのやり取りをしよー、というもの。まぁ簡単にいえば、グローバルな出会い系サイトですね(実際に使用したサイトも、連載最後に説明とともに載せておきます)

文化交流としてだったり、日本に行くから案内してくれ~!だったり、目的は様々で、実は利用者が多く、そういうサイトも結構たくさんあります。


受験勉強をほったらかして、その中の一つに早速登録。自己紹介の文章を考えるのに電子辞書片手に奮闘したり、メッセージが来るたびにパソコンの前でニヤついたり、それはそれは狂気の沙汰だったと思います。

そして、初めて何往復も連絡を取り始めた人は、フロリダ州に住む中学二年生の女の子、Crystalでした。自己紹介に、アニメとかめっちゃ好き!って書いてあって、NARUTOの話ならできっかな、程度でした。




でも、この時はまだ想像もしなかったのです。


この子が、その後の俺の人生を、
大きく変えることになることを…



※注:以下、たいしたことは起こりません



ちなみに初めに送ったメッセージは、こんな感じ。


実際の画面貼り付けてみた


うっわ、恥ずかし。
「Japanese male. ってなんだよ」とか突っ込まないでください。「ReceiveじゃなくてReplyだろ」とか、やめてください。「なるはやなのか、余裕があるときなのか、どっちなんだよ」もうやめろ!やめてくれ!!

皆さん、これがゆとり世代ど真ん中の高校2年生が実際に書いた、最高傑作の英文です。いっそ殺してくれ…。


このメッセージの返信を境に、彼女とペンパル生活が始まります。お返事まで晒したら怒られそうだから、やめときますが、「俺、海を越えてメールしてる…時差とか気にしなきゃじゃん…アメリカ人ってこんな感じなんだ…なんかすげぇ…」と謎に感動してたことを鮮明に覚えています。

これが、僕の国際交流愛の、原点です。



今、久々にメールボックスを掘り返してみると、2日で1往復以上のメール頻度を、高2の2月から、高3の12月ごろまで、続けていたみたいです。そりゃ、現役で受験失敗するわ。

時には1000字以上のメールが送られてきて、それに一文ずつに丁寧に返信するから、書き上げるのに2時間くらいかかったりして。すげぇな、よくやったな。と、我ながら思います。そして彼女以外にもメッセしてた人は、かわるがわる、いました。たまにつらかったけど、めっちゃ楽しかったです。いい思い出にもなっています。


時に、彼氏いるの?を、
「Do you have steady? (コイビト、いるの?)
と、古語の死語で聞き、爆笑されたりもしました。
a も抜けてるし。英語、ひどいなぁ…



僕のきったねぇ英語を毎回添削して直してくれたり、スラングをいくつも教えてくれたり、毎回How are you today? と聞いてくれたり、彼女の忍耐力と、僕のあきらめない心が、今の僕を作ったみたいです。


今でも、時々Facebookで連絡を取り合います。そういえば、僕にFacebookのアカウントを作らせたのはCrystalでした。初めての友達もCrystalで、確か大学入るまでの間、Facebook上ではずっと友達が一人の状態でした。





――そして2013年4月。

一年間の自宅浪人を経て、東工大に入学します。



現役生と、何かしら差をつけたい…
そんなコンプレックスから僕がとった選択肢は、スウェーデンまで一筋に伸びる光だった!

(そして、英語学習についての分析も!



次回、【バカ大学生の英語学習編】



ではまた!!!

参考
http://blog-imgs-76.fc2.com/j/i/p/jipangnet/igvsuv.jpg
http://www.reallifeglobal.com/wp-content/uploads/2013/03/speaking-online-4.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/19/Thehits-chapter1-bsb.jpg
http://www.japan-guide.com/

2015-10-13

ぼんとこ北欧生活3 ~Nikaと反省と決意~

Leoです。



今日は、スウェーデン人との話ではないです。Georgia(旧・グルジア)出身のイケメン、僕のCorridor mateのNikaとのお話です。


Corridor(廊下)沿いに8つ部屋があるから、Corridor mate
その廊下の先には、こんな素敵なリビングとキッチンがあります



僕の最近の夜の過ごし方は、筋トレしては肉をワシワシ食べて課題か勉強しているか、スウェーデン人とSitting Bulldog(ビール)片手にBarでダーツしているか、そのまま酔ったノリでその辺のパーティに乱入しています!


…とだけ聞くと、完全に休暇気分のウェーイ系留学生に聞こえるでしょうか。飲みに行くのは、せいぜい週2日くらいで、あとはおうちで勉強しています。留学生の楽しそうな日常なんて、楽しいいくつかの夜の切り取りに過ぎないことが多々です。


(余談ですが、BarやNight club partyに行って友達に友達を紹介してもらったりするのは、とても良い英語の勉強になることに気づきました。普通に話しても何言ってるか聞こえないため、耳に全身の神経を集中させて聞き取ることになりますし、しゃべる時も正しい発音で最も伝わる表現を選ぶことが必要です。新しい英語の発音癖にも出会います。そうすると、そのあとの帰り道、友達との会話が、聞き取れる聞き取れる)


とはいえ、授業も少なければサークルの幹部とかでもないので、正直、すごく長い休暇のようなものです。勉強しようと思わなければ、一日中寝てるでもネットサーフィンでもお菓子作りでもしていられます。ほぼ、ニート大学生です。


いや。日本とアメリカからたくさんの本を持ってきました。考えたいことも学びたいことも、いくつもあります。そして、きちんと毎日自分を制して、意識的に勉強時間を確保するように心がけています。ニート大学生というよりは、自宅浪人生のほうが近いかもしれません。


時として、いくつかのサークルの活動に参加させてもらっても、います。そこでは、スウェーデン人やほかの国からの留学生から、価値のある議論を引き出したり、文化差異とその背景について、熱く語り合います。本来そんなサークルじゃないのですが、勝手に、意識調査や分析を行っています。




…だけど、僕も機械ではなく、人間です。



気分がすぐれないとき、何をしてもモチベーションの上がらない日、ぼーっと携帯やパソコンに向かう時間が長めの日、などなど、怠けてしまう時間帯や日も、あります。課題多いなぁ、机向かっても集中できないなぁ、日本今何時だっけなぁ、なんて。





そんな舐め腐った心持ちで、リビングでご飯を食べていたある夜でした。





何も考えず、ただ座ってご飯を食べていると、Corridor mateのNikaが、食器を洗いに来ました。

こういうとき、僕の住んでいる廊下では、大抵、
おー。今日なんかClassあったの?2つあったよー、DiscussionとLectureだった。そっかー、俺もAssignment出したり、なんか大変だったわー、やっとご飯ってとこ。ゆーてまだ月曜だしね、また明日からがんばろー。うん、がんばろー、おやすみねー。
くらいの、軽い挨拶が起こります。


いつもはこんなもんなのですが、時々、今回のように、ちょこっとだけ踏み込んで、話し込むこともあります。



今週の課題、30ページの論文(英語)読むのと、プレゼンとグループディスカッションあってさー。笑っちゃわない?笑



と、Nika。英語圏出身でもないし、もうやんなっちゃうわーみたいな雰囲気で話していたから、まじか、週30ページはきついな、しかも専門でしょ?って返すと、




いや、ちょろくて、退屈でさ。ジョージアにいたころは、毎週のように180ページくらい読んで、発表とかディスカッションできるくらいまで必死で勉強しなくちゃいけなかったんだ。だから今週は、少しLazyだったんだよねぇ。





(゚Д゚;)






いつも、どのパーティに行っても見かけるお前が、か…??
Night Eventに片っ端からGoingつけてる、お前が、か!?!?




と、一瞬は耳を疑いましたが、よく彼と話している内容は自分の専門のことや授業のこと、興味がある分野とかであることを思い出すと、たしかに、なんだか理にかなっているようにも思いました。



やっぱみんな、これくらいのつらい思いして、勉強してきているんだなぁ。それが、ちょっとは嫌なのかもしれないけれど、義務感というよりは、彼らが自分の専門に誇りを持っていること、専門的な知識がすごく豊富なことから推測するに、やはりこいつも、やりたいことだからやっている。そんな感じがします。




たまに、やりたくないことでもどれだけ頑張れるかが能力だ!とか、いわれるのを耳にしますが、それは、やりたいことを存分にやっている前提であるべきだと思います。



日本人の頑張り根性って、スゴイ!なんて、褒めるように言われることもあります。

けど、俺は全然すごくないや。。。と、ちょっと、へこみました。好きな分野(今の専門ではない)の専門知識は伸ばそうと頑張って勉強しているし、議論できるほどにはなってきているのかもしれないけれど、今の学部についていえば、単位数はギリギリ。成績も特段よくない。専門知識なんてあってないようなもの。正直、今勉強していることに関する研究室への道は、残されていなくて、自分の手で断ってしまいました。




ううむ。ちょっと、考える。





もやもやしてよくわからなくなりました。笑





けど、考えながら常に頭の片隅にあったこと。それは、僕は、自分の生きたいように生きたい、やりたいことをやりたいように、学びたい。ということでした。


僕が追求する価値のあることって、周りの人と比べて、優っている!どや!と見せびらかすことではない。やりたくないことに頑張り根性を発揮することでもない。


そうじゃなくて、ただ単に、
自分が絶対的に、興味のあることを、どのようにどれだけ積み重ねてきたか。
それによって、どんな新しい可能性を、ワクワクを、掘り起こして育てていけるようになるのか。
ということに価値を見出す人のようです。



専門じゃないことを、自分の専門とは別に身に着けるなんて、想像できないほどに大変なことだと思います。受動的に入ってくる授業もなければ、議論をまともにできる人も周りにいないから、深めるには人を探さなくてはいけない。



だけど、逆に言えば、それを吹っ飛ばせるくらい学んで、考えて、「え!?お前、それ、専門じゃなかったん!?!?」って言わせるレベルまで持っていっちゃえれば、超おもしろいですよね。
そんな挑戦的な目標は、僕が東工大を目指して自宅浪人をしていたころと、似たようなモチベーションの一つです。


ここで自分に打ち勝つことが、精神的につらいことだとは、わかっています。だけど、先を見据えて、もっと勉強しなきゃ。というか、もっと、勉強したい。




そんなことをふと思った、夜ご飯の一場面を、スクラップしてみました。





それにしても、ゆっくりとリビングに一人佇んで、ご飯食べてるだけで、次々やってくるみんなと話せて、良いです。部屋にこもって黙々とご飯食べてたら、そのうち病みます。



では、そんなところで。


先を見据えて、といった手前、帰国後の自分の姿を、もう少し具体的に想像したいものです。何ができる状態でありたいのか。そのWhy?が決まれば、自然とHow?とWhat?が見えてくるはず。



Leo

2015-10-10

ぼんとこ北欧生活2 ~Andyの日本留学~

Leoです。


前回更新から、ずいぶんと時間が経ちました。
この期間にもいろんな刺激を受け、僕のBloggerは投稿目前の下書きまみれです。


また、ぼちぼち、更新していきます。


残念ながら、金髪のねーちゃんと遊びほうけていたわけではありません。


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僕の在籍する東京工業大学には、"授業料不徴収協定"みたいな名前の協定を結んでいる大学が、世界中にあります。


東工大からその中のどれかへ派遣交換留学をする際には、東工大に授業料払ってさえいれば、あっちには払わなくてええよん。みたいなもので、東工大生にとっておそらく一番ポピュラーな中長期の留学プログラムだと思います。もちろん、Linköping Universityはその協定校の中の一つです。


そして、Vice Versa。リンシェーピンから東工大へも、同様に留学しやすい一つの選択肢になっているわけです。



そんなうれしい制度を使って東工大に半年間来ていたAndy(同い年/男性/イケメン)と、スウェーデンで再会することができました!


Andyに誘われて、「日本に行っていた/これから行くスウェーデン人たちの飲み会」に、ちょろっとお邪魔したときに、彼とじっくりと、話していました。

実は、日本にいたとき、飲みに行きたかったのだけどなかなか予定が合わず、結局、おひるごはん何度か食べたくらいしか話せていなかったので、今回はとても良い機会でした。



結構飲んでたから、話がうろ覚えではありますが、日本で感じた、スウェーデンとの違いについて、がっつり語ってもらっていました。忘れないうちに、メモ代わりにシェアしておきます。



*合意気質がもどかしいこと

Andyは東工大で、ある電気系の研究室に所属していました。そこで、いわゆる研究発表のゼミや輪講があったらしいのですが、そのディスカッションで、日本人は合意気質であると感じ、それが少しもどかしいと感じたようです。


ところで。

スウェーデンでは、スウェーデン語が主な言語として用いられます。この言語にはいわゆる「敬語」が存在せず、強いて似たような概念を挙げれば、目上の人への応対の際には口語のように砕けた表現を使わない、程度のものでしょうか。

また、以前の記事でも書きましたが、僕は、スウェーデン人は平等観が非常に強い、と感じています。研究室で言えば、ボスも学生も、同じ立場から発言をしたり、意見を言ったり、それに対して反応したりします。それは誤差はあれど、就活の際も、企業内でも、たいていの組織の中では、そのような平等性は保たれます


保たれます。と、断言してみましたが、僕がなんとなくそう感じたから!…では、ありません。

違うときに話した、ベトナム系スウェーデン人のKimに、面白い本を見せてもらいました。日本語で言うと、組織運営論みたいなものでしょうか。世界にはどのような形の組織があって、それを一般的に広くかみ砕いたような本でした。(タイトル、メモしたのにどっかいっちゃったので、次あったときに、聞いてみます)


追記(2015.11.06):
コメント欄より、この本を教えていただきました。ありがとうございました。
THE ORGANIZATION IN ITS ENVIRONMENT
PDFはこちらから
また、現在履修している授業「Intercultural Communication」でも、このGeert HofstedeのPower Distanceの議論およびいくつかのDimensionに ついて、触れられていたので、界隈では有名な議論であるようです。



Kimに見せてもらった本


組織運営だと、とても権威のある本らしく、せっかくなので10分くらい読ませてもらいましたが、単語が難しくて全然わかりませんでした(英語力不足)。そして、この本のあるページに、世界の国々の組織スタイルの分類が載っていました。日本は右下、スウェーデンは左上と、直感的に対極にあることがわかります。

なにを示す図かというと。

に行けば行くほど、上司と部下の持つ力の量に差がある
に行けば行くほど、役職による力の差はなくなる
に行けば行くほど、リスクをいとわない
に行けば行くほど、不確実性を嫌い、避けたがる

のようなものです。まぁ、不確実性は今回、あまり関係ないです。


すなわち、
・日本では、部下はボスに使われるから、部下がボスに反論するなぞ言語道断
・スウェーデンでは、ボスは単にマネジメントをするという役職の人であるだけで、ロジック通ってれば文句言っても問題なし、むしろウェルカム(個人差あり)
みたいな構図に、なっているようでした。



…上下関係の平等性の話に戻ります。


日本の事情が当たり前になってしまった僕には、なかなか斬新で、しかし日本にはそのままの形では決して導入され得ないだろうな、と思ってしまいます。また、”the IKEA way”という概念がスウェーデン発であることも、筋が通っています。


そんなスウェーデンの授業のディスカッションや研究室のゼミでは、(僕もそう感じることがたまにありますが)議論が甘い点や説明不足な点へは、生徒からの鋭い質問がすぐさま飛びます。これは、学生の意見へ、のみならず、教授の話の最中でも、ためらいなしに起こります。



ところで。
日本にいた時に、レクチャー形式の講義が行われ、一方的でつまらないと文句を垂れる学生をよく見ました。そう、僕のことです。
けど、これも、授業形式に問題があるという一辺倒な批判が目につきますが、そうではなく、「学生と教授の関係を、上下関係ではなくただの役職ととらえる」と、もっと人主体の考え方に変えると、新しい道が見えるのかもしれません。残念ながら、詳しいことは、わかりませんので、この議論は放棄します。







*男女の対応区別が悲しいこと

「そういえば、とても悲しい発見もあったよ」

少しまじめな表情に戻ったAndyが、いくつかのことを思い出しながら、その体験を共有してくれました。


ジェンダーの平等に敏感なスウェーデン人にとって、日本のいくつかの点は、なにか突き刺さるものがあったようです。それは、映画館、公共交通機関、食べ/飲み放題の値段、そして日本人の常識としてのジェンダーのとらえ方などです。


女性専用車両なんかは、痴漢が社会問題になった当時(というかいまでもなくなってはいないですが)、画期的な解決策として考えられて導入されるに至りました。それに対し、日本国民のほとんどは、この前までの僕も含め、違和感を感じず、受け入れました。

冷静に考え直すと、僕は理不尽で、犯罪を助長する政策だな、と思ってしまいます。「痴漢が起きるなら、男女を離しましょう!」と、安易に考えるに至ったようにしか思えません。


…この議論について書き始めると、たぶんそれだけで記事が終わってしまうので、書きませんが、Andyの男女の対応区別への気づきは、日本で20年前後を過ごし、日本人に囲まれ過ごしてきた、生粋の日本人文化を持った僕一人では考え付かない気付きでした。

※ちなみに。スウェーデン語には、上記で述べたように敬語がないばかりでなく、ドイツ語等のように男女での単語の使い分けもほとんどありません(話を聞く限り、完全に無いわけではなさそうですが、単語ごとにいちいち、ということはありません。英語と似ています)。まぁ、日本も、ほとんどないのですけどね。


*しょうがない精神に"和"を感じること

しょうがない。

日本にいるときに、起きた事象に対して、しょうがない。と受け入れる日本人を見て、感銘を受けたといいます。

しょうがない」は、本来「仕様がない」と書かれるフレーズで、手段や方法さえ分からない、対処できないという「諦めと受け入れ」の意を込めて、しばしば使われます。派生して、「意味がない、分かり得ない」の意味になることもありますが、今回はこちらではありません。(例:黙っていたってしょうがないでしょう!)


怒ったって、しょうがない。

悲しんだって、しょうがない。


Andyは、これを聞いて日本人の秩序、治安に納得したそうです。

飛行機が大幅に遅れたり、欠航になったりした際。怒って受付に怒鳴りつける人の割合は、ほかの国では見られないと言います。それはきっと、しょうがない、と受け入れる姿勢がある人が多いからだと、分析してくれました。そして、無宗教にもかかわらず、自分の足で立つ強さにも言及していました。

問題解決という目線から見ると、受け入れるのではなく、解決策を考えようよ!みたいに、無能かよ!と思う人もいるかもしれません。が、人同士のつながりの形成という目線から見ると、僕は素敵なことだと捉えたいな、と、思います。


*お土産カルチャーが難しいこと

これに関しては、単純に、日本の特殊な文化に翻弄された、ということなのですが(笑)

研究室のメンバーがどこか旅行に行くと必ず、お土産を買って来ることが、不思議でしょうがなかったようです。なんでいちいち買ってこなくちゃいけないんだ?静岡なんていつでも行けるでしょう!みたいに喚いていました。

これ、なんでなのでしょうね。
僕は個人的に、旅にあたってお世話になった人には、お土産を渡すついでにお土産話をして、感謝を伝えるきっかけにすることがあります。ただ、誰にも彼にも買ってくるのは、いまとなっては、する必要も感じられなければ、したいともあまり思いません。



…といった感じでした。


日本どうだったよ?何が楽しかった?何が大変だった?と聞くと、スムーズにたくさんの意見が出てきました。僕がスウェーデン人と話してるときに、こんなに堂々とポンポン、悪いところをあげられるだろうか。と思うくらいに、です。

しかも全て、自分なりのロジックの上に成り立った意見として。


あ、これ言ったらどう思うんだろ。これ差別主義者っぽい言い方になってないかな。

とか、考えてしまって、自分の場合はすぐに意見が口から出てこない気がします。正直になんでも語ってくれたAndy。自分に自信を持っていて、心を開いてくれる、尊敬できる友人です。



以上。


コメントやフィードバック、お待ちしております。

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2015-09-17

ぼんとこ北欧生活 ~Humans in Linköping vol.2~

Leoです。

本記事は、前回記事の続きです。写真盛りだくさんで、楽しい記事(※強い主観)です。


前回は、スウェーデン人もまた、自由に独立して生きており、その色としてまったりゆったりしています。というような話をしました。


*余談ですが、この記事のタイトルのHumans in Linköpingというのは、Humans of New Yorkというブログの名前をちょこっと拝借しています。この記事群と、内容は全然違うけど、大好きなのです。あえて、ofからinにしてみています。 
これは、NYの住人の小さなカタログみたいなものです。短いストーリーとともに、その人の写真が切り取られ、ただ街中を歩いているだけでは決してわかりえないすれ違う人生に、瞬間的にクローズアップしています。 
世界観が好きで、そして英語の勉強のため、昨年から見始めました。皆様もよろしければ、どうぞ!(誰か、東京でもやればいいのに、、、!

Humans of New Yorkは、こんな感じ






*Humans in Linköping vol.2






2.平等主義:Queueに見る正義


部族、ジェンダー、LGBT、格差、数えればきりがないほどの平等が謳われるこの現代ですが、スウェーデン国民の平等に対する意識は、日本のそれからは想像できないほどに進んでいます。

(これは次記事でも書く予定ですが)誰もが同じように扱われることが当たり前で、少しでも違和感があったり、不平等と感じることが当たり前になった社会を見ると、ただならぬ問題意識を持ったり、悲しいと感じたり、もどかしさを覚えるようです。

この平等の話は、最終的にはスウェーデン人と話していて気づいたことなのですが、その前にひとつの面白い文化について、「なんでこんな文化が生まれたんだろう…?」と思考を重ねるところから、このトピックについて考え始めました。


その文化が、Queue:順番待ちの列です。


日本でも、見られますけどもね。



調べてみると、スウェーデンに行った/住んでいる日本人の方々でも、それを感じた人は多いようですし、同様にスウェーデン人たちも、自分たちはすこし独特だと、認識しているようです。
・ スウェーデンの住宅事情(Kransというウェブショップのブログ)
・ 生徒を選別するフリースクール(スウェーデンの教育についてブログを書かれている、サリネンれい子さんの記事)
・ スウェーデンの住宅事情(地球の歩き方にも!)

一言でいうと、早いもん勝ちの精神が強いです。人口が少ないから成り立っているような気もしますが、日本のコミケを向こうに持って行ったら、いったい何日前から並び始めるのだろう、と想像が膨らむほどに、早くから並んでいる人が偉いのです。

それは特に、住居の賃貸や売買でよく見られます。
僕もウェブサービスに登録している、Studentbostäderという会社があります。Linköping周辺のSuumoみたいな賃貸検索と契約までできるウェブサービスや、その住居の管理などを行っています。

このウェブサイトを使うには、まず、無料登録します。すると、一日1ポイントのQueue Pointが、何もしなくてももらえます。当然、これを多く貯めるには、早くから登録しておく必要があるということになります。


そうです。お察しの通り、住居の取り合いに、このポイントが使われます。一つの部屋に対し、Applicationを出した人の中で、一番高いポイントを持っている人がその部屋を借りれるといったように、部屋がとられていきます。

同じ条件下で、早くから登録した人が優先される。正義というより、平等が重視されているなぁなんて、舌を巻きました。



また、僕の通う大学 Linköping Universityや、ナイトクラブなどでも、見られました。

大学で、国際部の担当者のサインをもらいに行ったときです。全然長い行列はなくて、「なんだ、ラッキー」って思って部屋に入ろうとしました。すると、ピロリン!と、謎の効果音。とっさに上を見上げると、デジタル表示の電光掲示板が、その音源でした。

これでチケットを取り、

自分の番号が呼ばれるのを待つ。
郵便局かよ…


とにもかくにも、チケットを取って、順番待ってろと。

結局その日は、受付オープンの15分前に行ったにもかかわらず、40分ほど待つ羽目になりました。

(別用で後日、受付オープン時間ジャストに行ったら、1時間以上待ち、授業に間に合わなくなるのであきらめた、という経験もしました)



のちに、お酒を飲みながら友達のスウェーデン人に「なんかあれ、スウェーデンって感じだね。何でもかんでも順番待つのね」って冗談っぽく話したら、


「Välkommen!(スウェーデン語でWelcomeの意)」


…うるせーよ。笑




ただ、医者にかかる際も、かなりの順番を待たなければならないといいます。

医療や福祉が無料であるとはいえ、ここに少なからず問題が潜んでいるのではないかな、と、日本人目線だと感じてしまいました。待っているあいだに手遅れになってしまう恐れや、それについてスウェーデン人がどう思っているのか、聞いたことがないのでわかりませんが、気が向いたら聞いてみようと思っています。



3.社交と溌剌:会話開始のハードル


日本では、コンビニの店員が挨拶してくれてファンタスティックだ!

…と、アメリカかどっかからの友達から聞いたことがあります。


だけど、日本人として言わせてもらいます。


スウェーデン、そんなもんじゃねぇぞ


スーパーの店員さんのあいさつが、すばらしい。懐かしい友人に会って、Hey!!と、ちょっと乗り出し気味に言うくらいのテンションで、Hej hej!とか、 Hej då!(Då≒man) とか、いい笑顔で挨拶してくる。

日本の店員みたいに、機械的に「らっしゃーせー。」というのとは異なり、声を発することが目的ではなく、相手に伝えるところまでをするのが当たり前だと思っているように、感じます。


街を歩いているときも、そうです。自分の建物に入ってくる人、一緒にタバコ吸っている人、Barで隣に座ってきた人、なんとなく目があった人、だれでも、「Hej hej!」から会話が始まります。お互いに、それを嫌がるわけでもなく、むしろ当然のように。

会話を楽しんでいるのを見ていると、多くの人が、そもそも誰かと話すことが好きなのかな、と思います。(もしそれが本当だとしたら、日本人おなじみの「おもてなし精神」を生まれつき持っているということになりますね。素敵です。理由を、探ってみたいものです)


→実は、この記事を書いてから公開までの間に、理由を探る調査をしました。いつか、それについて、更新します。


4.人種の多様:移民という背景





そんな動画をYoutubeで見たことがありますが、なんでなんだろう。日本にいる外国人は基本英語しゃべれるんだから、いいじゃん。と、思っていました。




ところで、アメリカでも感じたことですが、日本人のいう外国人とは、スウェーデン人の言う「外国人」は、定義も扱いも全然違います。日本の外国人は見た目の違いが重視され、アメリカやスウェーデンでの外国人はスピリットの違いや文化です。


日本は単一民族国家として成長してきました
日本で見かける黄色人種(モンゴロイド)以外の人は、国籍が日本であれ、日本語が堪能であれ、パッと見で白人(コーカソイド)や黒人(ネグロイド)だとわかれば、多くの日本人は(あっ、外国人だ)と認識してしまうのが、悲しくもいまだに事実だと思っていますし、少なくとも僕も、英語の準備をしてしまいがちです。


ただ、これって帰化した人や両親が移民してきた人などからすると、とても悲しいことなのです。

自分は日本を自分の国だと思っているのに、周りの人はそうではなく、自分を外人として扱っている。と、感じられかねません。


逆に、アラブ圏やEU圏からの移民や留学生の多いスウェーデンでは、一概にスウェーデン人といったところで必ずしも全員が「ブロンド+ブルーアイズの長身イケメンor美女」というわけではなく、アジア系もアラブ系も赤髪もネグロイドも、ごっちゃぁ~と混ざっているように感じます。主観的には、アメリカに比べると、まぁブロンド多めかな?くらいです。

そのため、スーパーマーケットでも、見た目が完全に外人の僕にでも、ほとんどの場合、スウェーデン語で話しかけてきます(僕は話せないので少しもどかしいですが)。




この記事を見てくださっているあなたへ。

日本にいる「見た目が外国人の人」に、スムーズな日本語で話しかけられますか?

見た目が外国人だから、みんなが日本語をゆっくり話してくる…って、悲しんだり、悩んでいる人がいます。


(その反面、外国人の見た目であることを存分に利用している人も、いますが)

そんなこと考えたこともなかった、、って人は、ぜひ、一度気にしてみると、いいのかもしれません。


(ちなみに、偉そうなことを言いましたが、僕はまだ、意識しないとできません。精進します…

参考動画です。論点は少し違います↓

↓こちらは、割と最近のBBCニュース。
このような方は、日本にいるわけです。彼女みたいにハーフじゃなくても


                                                                  


といったところで、二回にわたる第一弾の北欧レポートの筆を置こうと思います。


かなり主観を交えて書いているため、コメントやメッセージから、賛否両論お待ちしています。また、共感した点や、こんな特徴もあるよ!なんていうのも教えていただけると、さらに豊かな思考に育つので、右のメッセージボックスや下のコメント欄から、お待ちしています!


それでは、また。