本記事は、前回記事の続きです。写真盛りだくさんで、楽しい記事(※強い主観)です。
前回は、スウェーデン人もまた、自由に独立して生きており、その色としてまったりゆったりしています。というような話をしました。
*余談ですが、この記事のタイトルのHumans in Linköpingというのは、Humans of New Yorkというブログの名前をちょこっと拝借しています。この記事群と、内容は全然違うけど、大好きなのです。あえて、ofからinにしてみています。
これは、NYの住人の小さなカタログみたいなものです。短いストーリーとともに、その人の写真が切り取られ、ただ街中を歩いているだけでは決してわかりえないすれ違う人生に、瞬間的にクローズアップしています。
世界観が好きで、そして英語の勉強のため、昨年から見始めました。皆様もよろしければ、どうぞ!(誰か、東京でもやればいいのに、、、!
Humans of New Yorkは、こんな感じ
*Humans in Linköping vol.2
2.平等主義:Queueに見る正義
部族、ジェンダー、LGBT、格差、数えればきりがないほどの平等が謳われるこの現代ですが、スウェーデン国民の平等に対する意識は、日本のそれからは想像できないほどに進んでいます。
(これは次記事でも書く予定ですが)誰もが同じように扱われることが当たり前で、少しでも違和感があったり、不平等と感じることが当たり前になった社会を見ると、ただならぬ問題意識を持ったり、悲しいと感じたり、もどかしさを覚えるようです。
この平等の話は、最終的にはスウェーデン人と話していて気づいたことなのですが、その前にひとつの面白い文化について、「なんでこんな文化が生まれたんだろう…?」と思考を重ねるところから、このトピックについて考え始めました。
その文化が、Queue:順番待ちの列です。
日本でも、見られますけどもね。
調べてみると、スウェーデンに行った/住んでいる日本人の方々でも、それを感じた人は多いようですし、同様にスウェーデン人たちも、自分たちはすこし独特だと、認識しているようです。
・ スウェーデンの住宅事情(Kransというウェブショップのブログ)
・ 生徒を選別するフリースクール(スウェーデンの教育についてブログを書かれている、サリネンれい子さんの記事)
・ スウェーデンの住宅事情(地球の歩き方にも!)
一言でいうと、早いもん勝ちの精神が強いです。人口が少ないから成り立っているような気もしますが、日本のコミケを向こうに持って行ったら、いったい何日前から並び始めるのだろう、と想像が膨らむほどに、早くから並んでいる人が偉いのです。
それは特に、住居の賃貸や売買でよく見られます。
僕もウェブサービスに登録している、Studentbostäderという会社があります。Linköping周辺のSuumoみたいな賃貸検索と契約までできるウェブサービスや、その住居の管理などを行っています。
このウェブサイトを使うには、まず、無料登録します。すると、一日1ポイントのQueue Pointが、何もしなくてももらえます。当然、これを多く貯めるには、早くから登録しておく必要があるということになります。
そうです。お察しの通り、住居の取り合いに、このポイントが使われます。一つの部屋に対し、Applicationを出した人の中で、一番高いポイントを持っている人がその部屋を借りれるといったように、部屋がとられていきます。
同じ条件下で、早くから登録した人が優先される。正義というより、平等が重視されているなぁなんて、舌を巻きました。
また、僕の通う大学 Linköping Universityや、ナイトクラブなどでも、見られました。
大学で、国際部の担当者のサインをもらいに行ったときです。全然長い行列はなくて、「なんだ、ラッキー」って思って部屋に入ろうとしました。すると、ピロリン!と、謎の効果音。とっさに上を見上げると、デジタル表示の電光掲示板が、その音源でした。
これでチケットを取り、
自分の番号が呼ばれるのを待つ。
郵便局かよ…
とにもかくにも、チケットを取って、順番待ってろと。
結局その日は、受付オープンの15分前に行ったにもかかわらず、40分ほど待つ羽目になりました。
(別用で後日、受付オープン時間ジャストに行ったら、1時間以上待ち、授業に間に合わなくなるのであきらめた、という経験もしました)
のちに、お酒を飲みながら友達のスウェーデン人に「なんかあれ、スウェーデンって感じだね。何でもかんでも順番待つのね」って冗談っぽく話したら、
「Välkommen!(スウェーデン語でWelcomeの意)」
…うるせーよ。笑
ただ、医者にかかる際も、かなりの順番を待たなければならないといいます。
医療や福祉が無料であるとはいえ、ここに少なからず問題が潜んでいるのではないかな、と、日本人目線だと感じてしまいました。待っているあいだに手遅れになってしまう恐れや、それについてスウェーデン人がどう思っているのか、聞いたことがないのでわかりませんが、気が向いたら聞いてみようと思っています。
3.社交と溌剌:会話開始のハードル
「日本では、コンビニの店員が挨拶してくれてファンタスティックだ!」
…と、アメリカかどっかからの友達から聞いたことがあります。
だけど、日本人として言わせてもらいます。
スウェーデン、そんなもんじゃねぇぞ。
スーパーの店員さんのあいさつが、すばらしい。懐かしい友人に会って、Hey!!と、ちょっと乗り出し気味に言うくらいのテンションで、Hej hej!とか、 Hej då!(Då≒man) とか、いい笑顔で挨拶してくる。
日本の店員みたいに、機械的に「らっしゃーせー。」というのとは異なり、声を発することが目的ではなく、相手に伝えるところまでをするのが当たり前だと思っているように、感じます。
街を歩いているときも、そうです。自分の建物に入ってくる人、一緒にタバコ吸っている人、Barで隣に座ってきた人、なんとなく目があった人、だれでも、「Hej hej!」から会話が始まります。お互いに、それを嫌がるわけでもなく、むしろ当然のように。
会話を楽しんでいるのを見ていると、多くの人が、そもそも誰かと話すことが好きなのかな、と思います。(もしそれが本当だとしたら、日本人おなじみの「おもてなし精神」を生まれつき持っているということになりますね。素敵です。理由を、探ってみたいものです)
→実は、この記事を書いてから公開までの間に、理由を探る調査をしました。いつか、それについて、更新します。
4.人種の多様:移民という背景
そんな動画をYoutubeで見たことがありますが、なんでなんだろう。日本にいる外国人は基本英語しゃべれるんだから、いいじゃん。と、思っていました。
ところで、アメリカでも感じたことですが、日本人のいう外国人とは、スウェーデン人の言う「外国人」は、定義も扱いも全然違います。日本の外国人は見た目の違いが重視され、アメリカやスウェーデンでの外国人はスピリットの違いや文化です。
日本は単一民族国家として成長してきました。
日本で見かける黄色人種(モンゴロイド)以外の人は、国籍が日本であれ、日本語が堪能であれ、パッと見で白人(コーカソイド)や黒人(ネグロイド)だとわかれば、多くの日本人は(あっ、外国人だ)と認識してしまうのが、悲しくもいまだに事実だと思っていますし、少なくとも僕も、英語の準備をしてしまいがちです。
ただ、これって帰化した人や両親が移民してきた人などからすると、とても悲しいことなのです。
自分は日本を自分の国だと思っているのに、周りの人はそうではなく、自分を外人として扱っている。と、感じられかねません。
逆に、アラブ圏やEU圏からの移民や留学生の多いスウェーデンでは、一概にスウェーデン人といったところで必ずしも全員が「ブロンド+ブルーアイズの長身イケメンor美女」というわけではなく、アジア系もアラブ系も赤髪もネグロイドも、ごっちゃぁ~と混ざっているように感じます。主観的には、アメリカに比べると、まぁブロンド多めかな?くらいです。
そのため、スーパーマーケットでも、見た目が完全に外人の僕にでも、ほとんどの場合、スウェーデン語で話しかけてきます(僕は話せないので少しもどかしいですが)。
この記事を見てくださっているあなたへ。
日本にいる「見た目が外国人の人」に、スムーズな日本語で話しかけられますか?
見た目が外国人だから、みんなが日本語をゆっくり話してくる…って、悲しんだり、悩んでいる人がいます。
(その反面、外国人の見た目であることを存分に利用している人も、いますが)
そんなこと考えたこともなかった、、って人は、ぜひ、一度気にしてみると、いいのかもしれません。
(ちなみに、偉そうなことを言いましたが、僕はまだ、意識しないとできません。精進します…
参考動画です。論点は少し違います↓
↓こちらは、割と最近のBBCニュース。
このような方は、日本にいるわけです。彼女みたいにハーフじゃなくても
といったところで、二回にわたる第一弾の北欧レポートの筆を置こうと思います。
かなり主観を交えて書いているため、コメントやメッセージから、賛否両論お待ちしています。また、共感した点や、こんな特徴もあるよ!なんていうのも教えていただけると、さらに豊かな思考に育つので、右のメッセージボックスや下のコメント欄から、お待ちしています!
それでは、また。