2015-09-17

ぼんとこ北欧生活 ~Humans in Linköping vol.2~

Leoです。

本記事は、前回記事の続きです。写真盛りだくさんで、楽しい記事(※強い主観)です。


前回は、スウェーデン人もまた、自由に独立して生きており、その色としてまったりゆったりしています。というような話をしました。


*余談ですが、この記事のタイトルのHumans in Linköpingというのは、Humans of New Yorkというブログの名前をちょこっと拝借しています。この記事群と、内容は全然違うけど、大好きなのです。あえて、ofからinにしてみています。 
これは、NYの住人の小さなカタログみたいなものです。短いストーリーとともに、その人の写真が切り取られ、ただ街中を歩いているだけでは決してわかりえないすれ違う人生に、瞬間的にクローズアップしています。 
世界観が好きで、そして英語の勉強のため、昨年から見始めました。皆様もよろしければ、どうぞ!(誰か、東京でもやればいいのに、、、!

Humans of New Yorkは、こんな感じ






*Humans in Linköping vol.2






2.平等主義:Queueに見る正義


部族、ジェンダー、LGBT、格差、数えればきりがないほどの平等が謳われるこの現代ですが、スウェーデン国民の平等に対する意識は、日本のそれからは想像できないほどに進んでいます。

(これは次記事でも書く予定ですが)誰もが同じように扱われることが当たり前で、少しでも違和感があったり、不平等と感じることが当たり前になった社会を見ると、ただならぬ問題意識を持ったり、悲しいと感じたり、もどかしさを覚えるようです。

この平等の話は、最終的にはスウェーデン人と話していて気づいたことなのですが、その前にひとつの面白い文化について、「なんでこんな文化が生まれたんだろう…?」と思考を重ねるところから、このトピックについて考え始めました。


その文化が、Queue:順番待ちの列です。


日本でも、見られますけどもね。



調べてみると、スウェーデンに行った/住んでいる日本人の方々でも、それを感じた人は多いようですし、同様にスウェーデン人たちも、自分たちはすこし独特だと、認識しているようです。
・ スウェーデンの住宅事情(Kransというウェブショップのブログ)
・ 生徒を選別するフリースクール(スウェーデンの教育についてブログを書かれている、サリネンれい子さんの記事)
・ スウェーデンの住宅事情(地球の歩き方にも!)

一言でいうと、早いもん勝ちの精神が強いです。人口が少ないから成り立っているような気もしますが、日本のコミケを向こうに持って行ったら、いったい何日前から並び始めるのだろう、と想像が膨らむほどに、早くから並んでいる人が偉いのです。

それは特に、住居の賃貸や売買でよく見られます。
僕もウェブサービスに登録している、Studentbostäderという会社があります。Linköping周辺のSuumoみたいな賃貸検索と契約までできるウェブサービスや、その住居の管理などを行っています。

このウェブサイトを使うには、まず、無料登録します。すると、一日1ポイントのQueue Pointが、何もしなくてももらえます。当然、これを多く貯めるには、早くから登録しておく必要があるということになります。


そうです。お察しの通り、住居の取り合いに、このポイントが使われます。一つの部屋に対し、Applicationを出した人の中で、一番高いポイントを持っている人がその部屋を借りれるといったように、部屋がとられていきます。

同じ条件下で、早くから登録した人が優先される。正義というより、平等が重視されているなぁなんて、舌を巻きました。



また、僕の通う大学 Linköping Universityや、ナイトクラブなどでも、見られました。

大学で、国際部の担当者のサインをもらいに行ったときです。全然長い行列はなくて、「なんだ、ラッキー」って思って部屋に入ろうとしました。すると、ピロリン!と、謎の効果音。とっさに上を見上げると、デジタル表示の電光掲示板が、その音源でした。

これでチケットを取り、

自分の番号が呼ばれるのを待つ。
郵便局かよ…


とにもかくにも、チケットを取って、順番待ってろと。

結局その日は、受付オープンの15分前に行ったにもかかわらず、40分ほど待つ羽目になりました。

(別用で後日、受付オープン時間ジャストに行ったら、1時間以上待ち、授業に間に合わなくなるのであきらめた、という経験もしました)



のちに、お酒を飲みながら友達のスウェーデン人に「なんかあれ、スウェーデンって感じだね。何でもかんでも順番待つのね」って冗談っぽく話したら、


「Välkommen!(スウェーデン語でWelcomeの意)」


…うるせーよ。笑




ただ、医者にかかる際も、かなりの順番を待たなければならないといいます。

医療や福祉が無料であるとはいえ、ここに少なからず問題が潜んでいるのではないかな、と、日本人目線だと感じてしまいました。待っているあいだに手遅れになってしまう恐れや、それについてスウェーデン人がどう思っているのか、聞いたことがないのでわかりませんが、気が向いたら聞いてみようと思っています。



3.社交と溌剌:会話開始のハードル


日本では、コンビニの店員が挨拶してくれてファンタスティックだ!

…と、アメリカかどっかからの友達から聞いたことがあります。


だけど、日本人として言わせてもらいます。


スウェーデン、そんなもんじゃねぇぞ


スーパーの店員さんのあいさつが、すばらしい。懐かしい友人に会って、Hey!!と、ちょっと乗り出し気味に言うくらいのテンションで、Hej hej!とか、 Hej då!(Då≒man) とか、いい笑顔で挨拶してくる。

日本の店員みたいに、機械的に「らっしゃーせー。」というのとは異なり、声を発することが目的ではなく、相手に伝えるところまでをするのが当たり前だと思っているように、感じます。


街を歩いているときも、そうです。自分の建物に入ってくる人、一緒にタバコ吸っている人、Barで隣に座ってきた人、なんとなく目があった人、だれでも、「Hej hej!」から会話が始まります。お互いに、それを嫌がるわけでもなく、むしろ当然のように。

会話を楽しんでいるのを見ていると、多くの人が、そもそも誰かと話すことが好きなのかな、と思います。(もしそれが本当だとしたら、日本人おなじみの「おもてなし精神」を生まれつき持っているということになりますね。素敵です。理由を、探ってみたいものです)


→実は、この記事を書いてから公開までの間に、理由を探る調査をしました。いつか、それについて、更新します。


4.人種の多様:移民という背景





そんな動画をYoutubeで見たことがありますが、なんでなんだろう。日本にいる外国人は基本英語しゃべれるんだから、いいじゃん。と、思っていました。




ところで、アメリカでも感じたことですが、日本人のいう外国人とは、スウェーデン人の言う「外国人」は、定義も扱いも全然違います。日本の外国人は見た目の違いが重視され、アメリカやスウェーデンでの外国人はスピリットの違いや文化です。


日本は単一民族国家として成長してきました
日本で見かける黄色人種(モンゴロイド)以外の人は、国籍が日本であれ、日本語が堪能であれ、パッと見で白人(コーカソイド)や黒人(ネグロイド)だとわかれば、多くの日本人は(あっ、外国人だ)と認識してしまうのが、悲しくもいまだに事実だと思っていますし、少なくとも僕も、英語の準備をしてしまいがちです。


ただ、これって帰化した人や両親が移民してきた人などからすると、とても悲しいことなのです。

自分は日本を自分の国だと思っているのに、周りの人はそうではなく、自分を外人として扱っている。と、感じられかねません。


逆に、アラブ圏やEU圏からの移民や留学生の多いスウェーデンでは、一概にスウェーデン人といったところで必ずしも全員が「ブロンド+ブルーアイズの長身イケメンor美女」というわけではなく、アジア系もアラブ系も赤髪もネグロイドも、ごっちゃぁ~と混ざっているように感じます。主観的には、アメリカに比べると、まぁブロンド多めかな?くらいです。

そのため、スーパーマーケットでも、見た目が完全に外人の僕にでも、ほとんどの場合、スウェーデン語で話しかけてきます(僕は話せないので少しもどかしいですが)。




この記事を見てくださっているあなたへ。

日本にいる「見た目が外国人の人」に、スムーズな日本語で話しかけられますか?

見た目が外国人だから、みんなが日本語をゆっくり話してくる…って、悲しんだり、悩んでいる人がいます。


(その反面、外国人の見た目であることを存分に利用している人も、いますが)

そんなこと考えたこともなかった、、って人は、ぜひ、一度気にしてみると、いいのかもしれません。


(ちなみに、偉そうなことを言いましたが、僕はまだ、意識しないとできません。精進します…

参考動画です。論点は少し違います↓

↓こちらは、割と最近のBBCニュース。
このような方は、日本にいるわけです。彼女みたいにハーフじゃなくても


                                                                  


といったところで、二回にわたる第一弾の北欧レポートの筆を置こうと思います。


かなり主観を交えて書いているため、コメントやメッセージから、賛否両論お待ちしています。また、共感した点や、こんな特徴もあるよ!なんていうのも教えていただけると、さらに豊かな思考に育つので、右のメッセージボックスや下のコメント欄から、お待ちしています!


それでは、また。

2015-09-14

ぼんとこ北欧生活 ~Humans in Linköping vol.1~

Leo@Linköpingです。元気でやっています。


*少し近況報告

Linköpingは、リンシェーピン、リンショーピンなどと発音されます。首都・ストックホルムから南西に、電車で2時間半ほど行ったところにある、比較的小さな町です。

ここにあるLinköping University(通称LiU)に、僕は派遣交換留学生として1月まで滞在します。現在では、いわゆる新歓時期も徐々に佳境を迎え、クラブ活動も通常の活動に戻りつつあるようです。


VIVA, LINKÖPING!!


こちらに着いてからというもの、

・飛行機の中でアメリカで買ったMonsterの缶(700mlくらいのエナジードリンク)がバックパックの中で全力で爆発してて大切な本がびしょびしょになってたり、

・電車が遅れて部屋の鍵を受け取れなかったり(そのためMonsterくさい僕を、スウェーデン人の友人が泊めてくれました)、

・部屋に着いたら着いたで、ネットは繋がらないわ電球は壊れてるわ毛布はないわMonster臭いわと散々だったり、

どうやら、北欧が僕に拒否反応を起こしているようでした



だけれども住めば都で。生活のインフラが整っているので、特段不便なく、適応することができた気がしています。野菜や肉が高かったり、日本との差異はあれど、まったくもって楽しめる範囲内です。

とはいえやはり、家族や実家の猫、サークルのみんななどを思い出すと、時々恋しくなるのも事実です。日本にいる皆さんからのご連絡、大歓迎ですので、どうぞお忘れなきよう、よろしくお願いいたします:)


ともかく、これからこの大学で5か月間程度、地に足つけて、もりもりと勉強していこうと思います。たくさんの素敵な出会いが、ありますように。


キャンパスは全長1km以上。
自転車は必須アイテムです。




さて、閑話休題。




*Humans in Linköping



僕がスウェーデンに来ている目的の一つは、「しばしば環境先進国と称されるスウェーデンで、環境という概念に対して、国民がどのような価値観や問題意識を持っているのか、調べること」です。

素晴らしい環境政策でも、国民の環境に対する意識が薄ければ、例えば「なんでリサイクルなんかしてまで生活の質を落とさなきゃあかんのじゃ!まとめて捨てさせろ!」ってなってしまいかねないことは、容易に想像できるかと思います。


どうして、スウェーデンは環境先進国になりえたのか。そのヒントを、どんな国民性があったから、どんな共通の価値観があったから、などという、人という視点から考えたいな、と思っています。(デザイン思考を学び始め、その意識が強まる今日この頃です。





その過程で、環境云々を度外視でスウェーデン人(や、ほかのEU加盟国からの留学生)を観察していると、いくつかの特徴が見えてきました。おそらくこれは、スウェーデンに限って起こることではないと思います。が、僕がそう感じたのは事実。まとめてみたらなんだか面白かったので、記事のネタにしてみます。


※ここから、あくまでもぼく個人の主観ですが、断定系で書いている点がいくつかあります。



1.自分主義:まったりとした国民性

これは、人生観、職業観、恋愛観、何もかもに絡んでくる特徴です。

いい意味でも悪い意味でも、全員があらゆることを「”すべき”ではなく、自分が”したい”と思ったからする」ような感覚で、それを基にした社会ができている気がします。


マイペースという言葉では表しきれませんが、モラルとか、恥ずかしさとか、そういうものに縛られる前に、自分がしたい/したくないと思う選択肢を一番初めに持っています。

多くの場合、選択に「(社会的に)すべき」という基準は入ってこず、基準はいつも自分です。個々が独立しています。



…ところで、個々が独立すると、いい依存状態が生まれます。

は?独立→依存って逆だろ?…はい。逆もあります。が、ここで有名な自己啓発本「7つの習慣」の言葉を借りて、説明を試みてみます。

”いい依存状態”と呼んだ相互依存状態は、以下のような理由で、独立した自己同士の前提のもと、成立します。

©Leo Hiramoto


あまり深くは説明しませんが、要は、自己(素直な自分)をコントロールできている二者が協力し合った時が、一番大きな価値を生み出しうる可能性が高いっていう、考え方があるよ、ということでした。


そして、スウェーデンでは何も言わずとも、個人が独立状態にあるわけです。


一般によく言われることですが、日本人は自分の意見を主張することは、何かと失礼に当たるとされる節がありますね。相手のしたいようにすることが思いやり、尊敬だというような、思考です。

しかしこれでは、相手の顔色をうかがうばかり(一種の依存状態)で、自分のニーズや価値のある意見が反映されず、得られることが少なくなってしまうと、僕は思います(もちろん、そう形成される社会のメリットも、あるとは思います)。

(こういうことに問題意識がある方は、ここからの脱却を心理学やカウンセリングの観点から解説しているWebsiteがあるので、こちらをご参照いただけると面白い発見があるかもしれません)




…閑話休題。(2度目)


自分を生きている?独立している?似たようなことを、ブルックリンのおばちゃんの時も同じようなこと言ってたじゃねーか。その通りです、言ってました、ごめんなさい。スウェーデンだけの特徴ではないとは、思うんです。


ただ、ここに絡めて、スウェーデン独特の価値観が垣間見える文化があります。



Fika です。

日本では時々、フィカ、フィーカなどと呼ばれ、カフェの名前にもなっていたりします。


まぁ、コーヒー飲もうや。みたいな、小さなブレイクですね。

スウェーデン人は、これを、何かと理由をつけて、よく開きます。僕ももう何度も、いろんなコミュニティで参加してきました。
どうやら会社では、ワークブレイクに、毎日Fikaが開かれることも少なくないようです。

誰かがオーガナイズ(人を集めて、場所とコーヒーとお菓子の提供)して、来る人も何かしらお菓子を持ってきたりします。特徴的なのが、カフェやお店でやるのではなく、自分たちのスペース(家のリビングや、時には屋外など)で行われることが多い、という点です。

FIKAは、こんな風景です。
ゆったりと、まったりと。


けれど、感覚的なFikaの本質は、疲れたから休憩がほしい~。というブレイクではなく、意識的に人生のスピードを落とすために時間を割くことです。

例えば、Fikaについて書かれたある本では、このように書かれています。
 "Functioning as both a verb and a noun, the concept of fika is simple. It is the moment that you take a break, often with a cup of coffee, but alternatively with tea, and find a baked good to pair with it. You can do it alone, you can do it with friends. You can do it at home, in a park or at work. But the essential thing is that you do it, that you make time to take a break: that's what fika is all about." - Fika: The Art of the Swedish Coffee Break, with Recipes for Pastries, Breads, and Other Treats
そして、この著者が書いているネットの記事でも、このようにつづられています。
 If there is one thing that distinguishes the Swedish coffee break — and the reason people fall in love with it — from our own coffee-consuming traditions in the United States, it's this: Fika is about slowing down. Coffee represents a true break, a moment to sit and contemplate on your own, or to gather with friends. In our own culture, where coffee has come to be more about grabbing a 16-ounce-grande-whatever, in a paper cup to go, coffee is more about fueling up and going fast. In Sweden coffee is something to look forward to, a moment where everything else stops and you savor the moment. In today's modern world we crave a little bit of that; we want an excuse to slow down.
のように紹介されていることから、Fikaの本質がどこにあるか、見えてきますね。


日本ではあまり浸透していない習慣ですが、効率を求めてせかせか働くよりも、仕事に対するMomentumや幸福度を、保つことができそうな気がします。(日本語でも、こんな記事を発見しました)


そして、このFikaの文化が、まったりゆったりとしたスウェーデン人のマイペースさを形作ってる一つの要因なのかもしれません。(…ちょっと無理やりに聞こえるかもしれません。しかし、Fikaを楽しんでいる彼/彼女らを見ていると、そう思えてくるのです)





…というわけで、書いていると長くなってしまったので、ここでぶった切ります。前編はここまで。




後編では、社交性や、人種などについて、書き綴ろうと思います。


それでは。

2015-09-06

ブルックリンのおばちゃんが教えてくれた、インターネットが教えてくれないこと


Leoです。

自分の気持ちの整理です。
文字ばかりでつまらないのは承知で、書きました。

現代に生きる誰かにとって、何か刺激やきっかけになれば、うれしいです。


-


あなたが、ギター初心者で、これから練習するとします。


まず、何をするでしょうか?

ギターを手に入れなくてはなりませんね。楽器屋さんに行きますか?その前にどのメーカーのどれがいいのか、ネットで検討しますか?星の数の選択肢。どうやって選びましょうか。Amazonのレビュー?Twitter?…わからなくなってきたので、ギターに詳しい友達を探しますか?そんなことより、買っても練習できなかったら意味ないから、練習場所の方法集めをしますか?

というか、練習はどうしましょう。ネットで「ギター 初心者 練習」と検索しますか?なんだかたくさんあって、どれを信用したらいいのか。教本もたくさんあります。ギターレッスンもたくさんあります。Youtubeでも練習できそうです。まずはコードを覚えましょうか?スケールを覚えますか?基礎練習をしましょうか?そもそもどんな選択肢があるのか、調べてみましょうか。

効率的な練習方法が、このご時世、ネットにたくさん落ちています。
指を痛くして、単調な練習。面白いですか?面白くないですよね。僕は嫌いでした。上達のためだと、ぐっとこらえて、数か月続けてみますか?


狭い部屋で、ツラいだけの練習をやってるうちに、あなたは考えるかもしれません:なんでギターはじめたかったんだっけ?


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先日、AirBnBというサービスを使って、ブルックリン(ニューヨークのダウンタウン)のシェアハウスに3泊滞在しました。オーナーの、早口で快活な若いおばちゃんが、ギターの練習をしていました。友達らしき人を自分の家のラウンジに呼んで、ちょこっと弾いては真っ白いノートに何かを書き込むことを繰り返していました。彼女がいつも持ち歩いて使っているMac Bookは使わないようでした。しかも、友達が帰ったらきれいにケースにしまって、部屋の隅っこに放置。さらには、「次会うのは~…来週の木曜日ね!(インターバル9日)Bye!」とか言いやがります。


…非効率、極まりない。


継続、コツコツという言葉を、知らんのか!と、突っ込みそうになりました。けど、僕は何も言わずにその光景を眺めていました。


というか、突っ込めませんでした。


なぜなら、それをしている時の彼女の顔が、誰よりもギターを、音楽を、その友達と共有する時間を、心から楽しんでいるようなキラッキラの笑顔だったからです。
きっと、彼女にとって、ギターを練習するもっとも最適な方法が、それだったのでしょう。


やりたいようにやればいいじゃない。飽きたらやめればいいじゃない。直感でそう思っているように感じました。
ギターなら、最短距離でうまくなりたいわけじゃない。英会話なら、効率のいい方法でネイティブになりたいわけじゃない。人生なら、失敗ゼロで完璧に生きるために、楽しさを犠牲にしたいわけじゃない。まぁ、違う場合もあります。けど、少なくとも僕は、そう思います。


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ところで、インターネットにはたくさんの情報が載っています。便利な世の中になりました。家から一歩も出なくても、知りたいことは、小さな機械にしゃべりかければ大体教えてくれます。むしろ、欲しかった情報が積極的に入ってくる時代です。ファンタスティックです。

だけど、機械が教えない、与えない、されどすこぶる大切で、忘れるべきではないことがあります。


「じゃあ、自分はどうしたいの?」に対する、答えです。



機械は、私たちにフィットした選択肢を提示してくれても、(いまのところ)行動するという決断は下しません。要は、いろんなギターの練習方法を、探した分だけ教えてくれるけど、決めるのは私たち、自分自身だよね。ということです。自分にしかわからない「ギターをうまく弾きたかった理由」をもとに、もしかしたら載ってないかもしれなかった練習方法に、だんだんとリーチしていくことが、いいのかもしれないな、と思います。

オーナーのおばちゃんは、こんなブログに長々と思いをつづらずとも、無意識のうちに自分がしたいことを優先して、選択・決断をしていました。素敵です。



僕の好きな漫画・宇宙兄弟に、こんな問いかけがあります。
「今のあなたにとって… 一番金ピカなことは何?」
金ピカ。一番、心躍ること。無条件でわくわくすること。自然に引っ張られること。心の中で金ピカに輝いていれば、王道から外れたって、周りからたたかれたって、軸はそう簡単にぶれたりしません。
たとえ、会社クビになったから、宇宙飛行士目指す。という外道でも。



有名(になりつつある?)なYouTuberの「はじめしゃちょー」さんは、こう言っていました。「やりたいことをやりたいようにやっていたら、いつのまにかたくさんの人が見てくれて、応援してくれて、幸せだ~、」みたいな。(ちょっと文脈違ったらごめんなさい。
時に叩かれたり、批判されたりも見受けられますが、くっだらねーwって思う動画を見ていると、自分がやりたいことを、思いっきりやってんだなぁ~って、尊敬します。
たとえ、自分が満足するために、社会に身をさらして動画を作る。という外道でも。
(今や僕は、彼の小さなファンの一人です。



このブログだって、そうです。たくさんの人に見てもらわなきゃ!って思って書きたくありません。文章構成とかは気にするけど、話を盛ったり、思ってもないことは絶対に書きたくないです。だって、人生の備忘録ですから。というか、ノンフィクションは、ノンフィクションだから、何か起こったら面白いし、スリル満点だし、なにより、余計な気を遣わなくて済むんです。
もちろん、書き続けているうちに、少しずつコンセプトが変わっていくかもしれません。だけどそれはきっと、自分の心地よいカタチが見つかったから、でしょう。


=


で、それを人生に適用できたら素敵やなぁ、なんて、思ったのです。

どんな選択も、まずは何にも縛られることなく、自分の正直で生の心に聞いてみる。そんな程よい自由さをもって生きていけたら、いいなぁ。

そして、そうすべきだと周りに言われたからその決断をするのではなく、自分が心地よい決断を取り続けていけたら、いいなぁ。

(そんなことを、スウェーデンにいても感じます。いつか、それについても整理したいものです)

-


という、気持ちの整理でした。

…もちろん、これの思考回路をつかって、自分に言い訳してはいけない、という考えには至っています。すなわち、本来やらなくてはいけないことも、やりたくないから、自分が生きたいように生きるから、しない。と、どんどん「自由」が「自己中心」に置き換わっていしまうことは、なんだか、違うよね。ってことです。

最低限のモラルを保ちつつ、やりたいことを全力でしていきたいなぁと。それが、僕にとって幸せなことなんじゃないかなぁと。そんな風におもいます。




ではまた。

Leo