2016-02-09

【人生辛ぇ】僕を初めて帰国したくさせた 離島の哲学バカンス1泊3日







「あぁ、だめだ、分っかんねぇ(苦笑)」



日本語がわかる人なんて周りにいやしないのに、抑えきれない笑いとともに、行き場を失った生の感情が口から飛び出した。






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Leoです。



※ 深夜に書いているので、文中の日本語の乱れは必ずしも執筆者の教養の欠如を意味しません。


インドネシアのバンドンで、3月の頭まで日本語教師しています。それをしながら、ついでにインドネシア語の勉強もしています。でも、来た目的は、どちらでもなかったりします。





「ホンモノの途上国開発って、どんな形してんだろ。答え探したいから、ちょっと新興国住んでみっか。」が、理由です。最初のきっかけはこれと異なりますが、それはまた別のお話。







週末(と旧正月の祝日)を利用して、6人のインドネシア人と離島に行ってきました。ボートに乗ってジャカルタから北に3~4時間ほど進んだところに浮かぶ、全長三キロもないような島でした。





先日、みんなで遊んだ際に僕が


「ビーチ行きてぇなぁ…」


と、ぼそっと呟いたら、

お?行く!?行こう!プランは任せて!前泊は私の実家使って!食べれないものある!?

と、想像以上の速さの波に飲まれ、実はバリに行ってみたかったとは二度と口にできない状況になってしまったことが、事の発端。インドネシアの人たち、世話焼きの比率と程度が、ケタ違いです。





バリ島に行って、

・観光ビジネスがどれほどバリの文化と共存して、

・どういう部分が壊れてしまっていて、

・それについて誰がどう思っているのか聞きまわっているうちに、

・資源にあふれた新興国と観光ビジネスについてビーチで日光浴しながら想いを書き留めよう、

という妄想は、サッと、本当にサッと流れてしまい、正直少し行きたくなかった自分がいました。





でも、その代わりに訪れたのは、

・観光ビジネスは現地の人しか対象にする気もなく、

・大して開発もされていない海のきれいな島で、

・時代に取り残されたように見える人たちはどんな生活をしていて、

・それは幸なのか不幸なのかを考えながら、

・だれが助けられるべきで、だれが押し付けで支援を受けるべきでないのか、

という倫理的な問いの答えに迫るチャンス。





バカンスをわちゃわちゃ楽しみつつも、せっかくの機会だから搾り取ってやろうと、急きょ出発前夜にノートにいろいろ書き込みました。







国際開発というシンプルで複雑な分野にかかわりながら食っていきたいなぁとぼんやり考えている大学生が、時間とお金を持っていてどうして留学期間に開発の現場へ行かないということがあろうか(いやない)、と、なんとなく思ってはいたし、先輩にもとにかく行っとけ!と押しに押されたものの、






じゃあ結局、開発現場行って、

何を学びたいのさ?



という内なる問いには、まったく答えを持っていませんでした。


目の前に機会が迫っているのだから、いい機会だ、ちょいと考えとくか。と。翌日からの準備もおざなりに、ペンをとり、ノートを開いたわけです。







少なくとも開発現場では、自分が興味あって研究したいなぁと思っていることに結びつくことを学びたかったので、まずは研究で何をしてみたいのか、細かく書くことに。年末に考えたことだけあって、スラスラ書ける。





そこから派生して出てきた、最近ずっと考え続けている問い「現地の人が満足している/問題と認識していないことを、さらに引き上げて開発するのは、正しい国際開発なのだろうか?」が続きます。Yes/Noでズバッと切れない問いだからこそ、どういう条件ならYes/Noなのか、そしてその条件は自分の想いなのかただの理論なのか、広く気を付けてひも解いているのがここ数週間です。






そして、前の外部記事でも紹介した記事、そして先輩の意見を要約し、あの手この手で納得できる答えに迫ります。でも、どれをとっても他人事のような理論。「へぇ、この人はこう思うんだぁ」程度にしか響かず、どうしたもんかと唸りながら、初めの問いに帰着しました。


「開発現場で、何を学びたいのさ?」








えー。なんだろ。






バックパッカーのブログとか、駐在員の日誌とか、漁って出てくるものにも書いてあるのでしょうが、「目の前の惨状を目にして、今の仕事のきっかけになりました」とか、「あの○日間のボランティアを、私は忘れません」とか、自分の想いを作ってくれるような原体験を、心のどこかで期待しながら、翌日朝を待つことにしました。







で、今日帰ってきて、考えの整理がてらこの記事を書いていて。







いや、確かに、衛生的にこれええのんか…?と思う点があったり、雑なつくり・仕組みだなぁ…とあきれさせられたり、いつの時代だよ…と古代博物館を思わせる技術が使われていたり、したものの。






みんな笑っとるし、不便(:僕の視点からのもの)に慣れてしまっているし、危ない・汚いものは危ないと認識されている。







結局、丸く生きてますやん。




というのがハイライトでした。







例えば、プログラミングすげぇ楽しい!この人たちもこの楽しさ知ったら、きっともっと街ごと発展するのに!自分でお金も稼げるし、もっと幸せになれるかもなのに!って人がいても、


いやそりゃ新しい選択肢教えたら興味持つ人はいるでしょ。てかそもそもこの人たちは発展したいって思ってんの?物乞いもいないし、俺より笑って生きてるお。

って言い返してしまいそうなくらい、もう出来上がってる(ように見える)世界がありました。いや、そんなこと言いませんよ?実際には。






彼・彼女らが、自分たちで「もっと発展したい!」とか思わない限り、もう出来上がった(ように見える)世界は、手を加えられるべきではないんじゃないか?


いやでも、先進国ではもっと死亡・疫病感染リスクが低くてチャンスにあふれているのなら、平等な世界のために発展に寄与するのが正義なのか?

それとも、どちらが幸福度が高いかを吟味して、理想的なリベラルな社会に近づけていくか?でもそれってただの先進国の理論の押しつけじゃないのか?じゃあ理想的な社会ってなんなんだ?

俺はどうしたいんだ?何をしている自分になりたいんだ?そもそも…






「あぁ、だめだ、分っかんねぇ(苦笑)」







思わず口から出た日本語に、隣にいた日本が好きなインドネシア人は「え!?何その日本語?どういう意味!?教えて教えて!」と即座に反応してきました。







自分がどうしたいのか、どういう自分を創っていきたいのか、全然わからん。





2015年8月に日本を発って、新しくいろんなことに考えを巡らせたら、当初考えていたルートを見事に外れ、面白そうな方向に草をかき分けて、ふと気づくと人生の迷子になっています。





そして今思えば、一つの問いに執着しすぎて視野が狭くなり、もっといろんなこと気づけたんじゃないかな、と後悔しています。雨で中止になったバーベキューの埋め合わせがおせんべい一袋って、それはナシだろ!っていう議論につたないインドネシア語でヤジを飛ばしている暇じゃなかったみたいです。










頭が悪すぎて、まいっちんぐ。






スキューバダイビング、すっげぇ楽しかった。










早く日本に帰りたい。いろんな人ともっと話して、迷子の僕がたくさんの経験を抱えて次の家を見つける方法を、じっくりじっくり探したい。






3月7日に帰国します。画面の前の親切なあなたへ。どうか、僕を助けてください。






コメントでもメッセージでも何でもいいです。何でもしますから…










Leo









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2016-01-27

ジャカルタで起きた爆発が 元「頑張らない屋さん」の僕に火をつけた話でも聞く?

Leoです。


2016年1月14日、ジャカルタで爆発が起きました。

僕はそのとき、どこにいたんだっけな。どこかにいました、ヨーロッパの。


すぐに僕は友達を心配して、メッセージを幾人かに送ったり、Facebookで安否を確認したり、していました。復興作業は早く、事件の12時間後にはもう、(物理的には)ほぼ元の状態まで復興していたとのこと。すげぇ。

だから、これからジャカルタとバンドンに行く自分は、もちろん最大限の危機管理はするものの、別に行かないことにするだとか、行くのを遅くするだとか、そんな選択肢は別に、持っていませんでした。


けど、両親や祖母は違いました。はじめ、両親はそろって僕のジャカルタ行きには反対し、祖母も心配のメッセージをくれました。テキトーな我が息子/孫が、危険な場所にいまからひょろっと行こうとしているのですから、止めるのも無理はないでしょう。

僕も、もちろん自分の命を失いたくないし、「命が保障できないことをあえてする」ことは、留学全体のルールとして、しないことに決めていました。けど、安全が確認されたのに行かないというのは、どうも、したくなかった。



それを、親に伝えようとしました。

しかし、言えませんでした。



親は、僕をとても心配していました。本気で止めようとしていたのか、きちんと安全であることをわからせてほしかったのか、真意は僕は知りません。

しかし、僕がインドネシアに行きたい!そこでこれこれをしたい!しなくちゃいかんのだ!!という熱意は、その心配を超える気持ちだとは言いがたかったと、気づいてしまったのです。

つまるところ、僕は今からする勉強や調査に、それほどアツくなれていないのではないかと、思い始めてしまったのでした。


(結局、親には、バンドンがいかに安全であり、僕が常に住所を知らせ続けるということで合意に至り、現在もバンドンでの生活を続けています)





そこから、いろんなことに思考を膨らませる中、北欧の生活も一緒に思い出していました。スウェーデンにいたころ、この記事にも書いたように、僕は彼・彼女らの「自分主義」と勝手に名付けた生きざまに惚れました。日本では得難い、素敵で、自分に合った生き方だと直感でかんじたからです。というか、考えれば考えるほど、僕はこういう人間でありたいと強く思うようになっている。


しかし、少し勘違いをしていました。


僕は、頑張るのは基本的に嫌いな人です。別に数年間にわたって運動部に入っていたわけでもないし、つらいことをやり続けた経験はありますが、それは「密度が濃く、いろんなことを学んだ。でも、もうこんなことしたくねぇ…」というネガティブな思考回路に昇華したものです。

そして僕は「どうして将来、数学や生物を使わないのに、勉強しなくてはいけないの?」という問いに対する、「使わないこともきちんと勉強できる人は、すごい人なんだよ」という理屈の通った風に返答する大人が嫌いです。意味のない辛さに意味はないと、信じてやみません、いまだに。


しかし過度に、目の前のつらさから逃げてきた自分の存在も、否定できなくなりました。なりたい自分の像はあっても、それに対するアプローチが自分にとってつらいものであったなら、僕はそれさえ避けてきました。つまり、たいていの場合は、いつかはつらい道を通って、失敗しながら泥臭い勉強や経験を重ねなければならないはずなのに、一番つらくない道を探し続けてきたのです。その結果、たいして勉強をしてこなかった薄っぺらい東工大生に、なってしまいました。





たとえばつらい勉強というのは、少なくとも二つのスケールで抽象的なエリア分けができそうです。

Y軸は、精神的負担の量。モチベーションの有無にかかわらず、その勉強がどれだけ今の状況(スキルやほかのタスクなど)の自分にとって時間と手間を要するのか、というスケール。

X軸は、その勉強の有意義さ。意味があって勉強しているのか?誰かに言われてただやっている勉強に、果たして演繹的な価値はあるのか?自分で意義をどれだけ理解していて、その先のイメージがどれだけ沸いているか。

(Z軸に「好奇心の量」という別のスケールもあるはずです。が、好奇心によって動いてくれない自分が、どうしたら頑張ってくれるかを考えていたので、無視しました)



だから要は、頑張らなくてはいけないときは頑張らなくてはいけないし、やってる意味が分からないなら即座にやめるが吉(やめられるかどうかじゃなくて、やめたほうが善が大きいことは多い)なのだということに気付いた、ということにすぎません。まとめると、なんてあたりまえな。




ブルックリンのおばちゃんの話も書きました。でも、ある程度のレベルになりたいのなら、つらいフェーズやコンペティションのフェーズは、とても役に立ちます。



危機感がないというのも、少しあるかもしれません(日本語がおかしい

内的なものばかりに目が行って、例えば「途上国の現状を肉眼で見て、本気でやらなきゃ!すぐにでも解決しなくちゃ!って思いました。」とか、「あの人の生きざまがかっこよくて、そのためにつらいことも頑張ろうと思いました。」とか、そういう外的な要素もあっていいと思います。環境に左右されやすい僕は、外からの刺激に敏感だから、きっといい方向に転がるんじゃないかな、と、ふと。


なんか考えの質があまり良くないけど、とりあえず吐き出してみました。
甘ちゃんだからな~。いろいろ、頑張ろうっと。アツくなろうっと。

勢いに任せて、急にアクティブになっている時期なうです。いきなり連絡来ても、あたたかい返信、よろしくですよ( *´艸`)



急に終わり。


Leo


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2016-01-16

【想い出と宣言】ボロボロ泣くくせに切り替え早いから周りの人は振り回されるのね

Leoです。

2016年も相変わらず、ドタバタと騒がしく生きていくことになりそうですが、温かく見守ったり、手を差し伸べてくださったり、していただけること、楽しみにしています(他力本願


さて、私は今、飛行機の中でこの記事を書いています。
先日記事にしたように、北欧での生活は無事(?)終わってしまいました。


僕はさよならを言う際、人や環境にはそれほどさみしさを感じない人なのですが、その時、その場でしか味わえない雰囲気に、泣くほど固執してさみしさを感じてしまいます。生きていればまたきっと会えるだろうし、Facebookでつながっているから連絡も取れるし、とはわかってるのですが、この人たちと、この場で、こんな風に馬鹿笑いをすることはもうできないんだな、と思ってしまうからです。もはや今書きながらちょっと泣いてます。強がって表に出さないけど、涙もろいんです、実は。


大学に入ってから、こうやって「別れ」というもので涙を流したのは、覚えている限りでは三回目かと思います。


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一回目は、東工大で開催された短期留学プログラム5th ASCENTの、Farewell Partyです。

当時僕は学部一年生で、経験も英語力もほぼ全くないのに運営サイドで、しかもプロジェクトリーダーを司っていました。それだけでさえ手一杯なのに、わがままな僕は並行してその主催団体の代表も取り持っていました。もちろんメンバーは先輩ばっかり。はじめはミーティングさえうまく回せず、もはや先輩方の操り人形のよう。とてもつらかったです。今まで一度だけ、本気で辞めてやろうかと思ったこともありました。そうして一年かけて作り上げた5th ASCENTは、今となれば笑い話や懐かしい話ですが、いくつもの課題を残して終了しました。当時、僕から見れば、手放しで「大成功でした!!」とは言えない結果でした。

ただ、最初はどぎまぎして打ち解けてくれるか不安だった東南アジアからの参加者みんなが、Farewell Partyでごちゃまぜになって笑いあっているのを見たとき、つらかったけどやっと終わったという安堵と、もう終わってしまうんだ、このメンバー全員で、こうやって笑いあうことはもうないんだなぁ…と思い始めてから、目の前の無邪気な光景に涙をこらえるのに必死でした。最後には、代表としてバシッと決めなきゃいけない締めの挨拶で、あたり構わずボロ泣きしてしまったり。いい思い出です。誰かがビデオを撮っていたような気もしますが、若かったという言葉が全部打ち消してくれることでしょう。


2回目のそれも、似たようなものと言えばそうでした。今度は僕が二年生の夏に参加した短期留学プログラムAYSEAS 2014”です。

こちらは、参加者として。開催地はベトナムのハノイで、僕の生まれて初めての海外経験となりました。ここでも懲りずに先輩に囲まれながらリーダーを務め、小さな挫折を重ねながらも手を伸ばし続け、周りの優秀な人たちから何かを盗み取ってやろう、だとか、一番後輩だけど先輩たちをどうにか出し抜いてやろう、だとか、無駄にゴリゴリ闘志を燃やして、臨んでいました。

結局、最後まで出し抜くどころか、彼・彼女らの気づかぬところで勝手に、僕は諭され、どうして嫉妬によく似た負の感情が出てきたのか、そして実はそれにすこぶる嫌気が差していた自分と向き合うきっかけにもなりました。大切な友人たちにも出会え、別れの際には涙をこらえることができませんでした。とってもいい思い出です。


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さぁ、なんでこんな話をしたのでしょうか。別に、飛行機でビールを飲みすぎて、酔った勢いで独り暴露会をしているわけではありません。いや、「飲みすぎて」までは本当なのですが。

今乗っている飛行機の行き先が、こんな昔話をわざわざつづった理由です。僕は今から、インドネシアとベトナムを訪れます。

大学一年生のころに想い焦がれて切なく散ったインドネシア人がきっかけで、少しでもお近づきになってやろうと、現地の文化からイスラム入教の手続きまで、勉強するようになりました(イスラム教徒と結婚できるのはイスラム教徒のみなので、浄土真宗の僕は焦りました)。100以上の言語が混在し、数万の島々で成り立つ、爆発的な勢いを持った南国の親日新興国、インドネシア。僕にとって、この国は第二の祖国です(行ったことない)。

また、初めて海外に出た(しかも旅行じゃなくて、学びを目的として)時のワクワク、初々しい緊張感、驚きや発見、当時のいろんな障害への精神的負担、何もかもの振り返りをしなければ日本には帰れないと思い、ベトナムも訪れようと決めました。


ここに挙げたような背景を元に、ちょっと集中的にブログ更新の頻度を引き上げようとたくらんでおります。バンドンについて少し落ち着いたら、短期間だけ1日1記事に挑戦してみます。暇人かよ。はい、暇(を作るのがうまい)人です。嘘です。

僕の研究や、トビタテ!で出させていただいている留学テーマに深く結び付くアクションを深く考えた末、こういうところに落ち着きました。詳しくは、いろんな報告会や飲み会で、たっぷりお話したいので、是非にお誘いお待ちしております。

特に宣言なしにやり始めようかと思ってましたが、周りにどや!ってしとかないと、自分に甘えそうなので、宣言をここに。


例によって、この超短期連載も「自分のためのメモ」という意味合いが強くなると思います。もしネット環境と少しの興味と暇な時間があれば、ぜひ覗いてみてください。


という、昔語りとちっぽけな宣言でした。終わり。



Leo


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